【日本ハム】山崎福也が心打たれた熱意とデータ「もっとできるはずなんだけどね」…移籍決断の理由明かす

スポーツ報知

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2024.1.4(木) 06:00

日本ハムでの活躍を誓った山崎

 オリックスから国内FA権を行使し、4年総額10億円(金額は推定)で日本ハムに入団した山崎福也投手(31)が3日、スポーツ報知のインタビューに応じ、移籍決断の舞台裏を明かした。古巣に加え巨人、ヤクルト、DeNA、ソフトバンクと計6球団による争奪戦となった中、日本ハム独自の“交渉術”に心動かされたことを告白。「まだまだ(全盛期は)ここから」と移籍1年目に懸ける決意を口にした。(取材・構成=堀内 啓太)

 入団会見から約1か月。大争奪戦の末に日本ハム入りを決めた山崎が決断の理由を明かした。父・章弘さん(62)が選手、コーチとして計14年間在籍し、伏見らオリックス時代の先輩も所属。「たくさんの縁」が決め手となった中、他にも要因があった。

 「複数回交渉をさせていだたく中で、本当に多くの資料を見せていただいた。僕自身のデータ、NPBの投手を比較したデータもあって『今、君の位置はこういうところにある。もっとできるはずなんだけどね』と話してもらいました」

 提示されたのは、綿密に練られ、準備された膨大な資料の数々。金銭面では日本ハムの上を行く球団もあったが、他球団とは違うプライスレスな熱意の示し方にハートを打ち抜かれた。

 「ストライク率、3球で追い込むパーセンテージだったり、データの種類がいくつかあって。自分はこんなにいい数字なんだ…って逆に驚いた。数値によっては(NPBで)上の方で『普通にやればもっと結果を残せるよ』と。その上で直すべき部分、悪いところも教えていただいた。このチームなら野球選手として長くやれそうだな、と」

 求めたのは、さらに成長できる環境。「野球人生を長く」と夢を持っていた左腕はその時に確信を得た。

 「あれだけ濃いデータを見せてもらった上で『あなたはまだまだ成長します』と。数字があったので説得力があった。『チームと一緒に成長して(投手として)完成させましょうよ』と言っていただきました」

 新庄監督からは、既に4月2日の本拠地開幕戦(対楽天)の先発に指名されている。昨季は9年目で初の2ケタ勝利(11勝)を達成したが、ここから“全盛期”を迎える自信がある。

 「今までの野球人生に全然満足はしていないし、まだまだこれからだと思っている。もっとできることを証明したい」

 中学3年時に脳腫瘍を患い、生存率10%の手術から命を救ってくれたのも北海道の名医。運命に導かれるように、北の大地で野球人生をリスタートさせる。全成績でのキャリアハイを目指し、熱く左拳を握った。

 「規定投球回(到達)、防御率2点台は必ず達成したい。優勝するために必死に腕を振っていきます」

 ◆山崎 福也(やまさき・さちや)1992年9月9日、埼玉県生まれ。31歳。日大三(東京)では甲子園に2度出場し、3年春に準優勝。明大で通算20勝を挙げ、2014年ドラフト1位でオリックス入団。22年日本シリーズ優秀選手賞。188センチ、95キロ。左投左打。

 ■取材後記 中学3年の冬。山崎は脳腫瘍を患い、「生存率10%、余命7、8年」と宣告された。家族全員で都内の病院などを探し回った中、北大病院で手術を受けると決めた。「独特の雰囲気があった。(担当の)沢村先生の話し方、人柄も見て僕が最終的に『ここで手術がしたい』と言った」。命を救われ、今に至る。

 16年後。大トリで交渉したのが日本ハムだった。着席時、「吉村さん(球団本部長)だけ違う雰囲気がある」と心が動いた。ここで野球がやりたい―。あの時と似た直感が働いたのかもしれないと感じた。

 「同じ境遇の人たちに勇気を与えたい。僕はまだまだ頑張らないといけないんです」。色紙には迷わず「感謝」と記した。再び信じた直感もきっと“正解”にするだろう。(日本ハム担当・堀内 啓太)

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