【独占手記】オリックス・宮城大弥、転機は6月8失点KOのDeNA戦 森の言葉「投げやりに見える」で目覚めた

スポーツ報知

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2023.9.21(木) 05:00

優勝し宮城大弥のユニホームを掲げるナイン(カメラ・岩田 大補)

◆パ・リーグ オリックス6ー2ロッテ(20日・京セラドーム大阪)

 オリックス・宮城大弥投手(22)がスポーツ報知に独占手記を寄せた。体調不良で胴上げには参加できなかったものの、今季は3年連続2ケタとなる10勝を挙げ、3連覇に大きく貢献。高卒4年目で3度の2ケタ勝利は、梶本隆夫、米田哲也の名球会投手に次ぐ球団史上3人目の快挙となった。決して裕福ではなかった少年時代や家族、目標としてきたエース・山本への感謝をつづった。

 チームのみんなとこの瞬間に一緒にいられなくて、正直とてもさみしいです。でも僕が1軍で投げさせてもらうようになった一昨年から1位、1位、1位…。チームとともに成長できている感じがします。

 今季の転機となったのは6月11日のDeNA戦。5回8失点、3本のホームランを打たれました。森さんから「『打たれたからいいや!』って投げやりに見える」と言ってもらって、目が覚めました。相当、ひどい顔をしていたんだな…と。しんどくても踏ん張って、表情に気合を入れる。あの試合から僕の意識が変わりました。

 ちょうど森さんの助言で、ダルビッシュさんの言葉を思い出しました。WBCに参加していた今年3月「悪い投球をした後、切り替えるためにどうすればいいのか」と聞くと、ものすごい答えが返ってきたんです。

 「野球のことはいったん置いておいて。例えば、アフリカの人たちが僕らのことを知っているか?」

 大きく世界を見渡した時に自分がどの立場で、どういう位置で何をしているのか。たった1試合のことを世界中の人が知っているわけでもない。そう考えた方が、切り替えやすいと学びました。

 振り返れば、子どもの頃は決して裕福ではありませんでした。電気、ガス、水道のどれかが切れている状態。小中学校では、お昼の給食をいっぱい食べるようにしていました。身長を伸ばしたかったので、牛乳を3つ4つ、女子生徒にもらったり…。野球の遠征費は当時の監督さんに立て替えていただき、国際大会では3000円の予算でお土産を探すこともありました。

 周囲のサポートがなければ、プロ野球選手にはなれなかった。恩返しと言うと、大げさかもしれませんが、昨年末に少年たちのスポーツ活動を支援する基金を設立しました。経済的な問題で、子どもたちに夢を諦めてほしくない。その一心です。今年から妹も芸能活動を始めましたし、家族にもいい暮らしをしてもらいたい。将来、子どもや孫ができて「何でも好きなものを買っていいよ!」って言ってみたいです。

 今シーズンから一人暮らしを始めました。1年目にしては、上出来です。山岡さんに頂いた炊飯器でご飯を炊き、ハンバーグやお肉を焼きます。サラダはスーパーで買って、トマトを切って追加します。家では子犬と子猫、2匹のペットが待っています。ポメプーのましゅちゃんとサイベリアンのまろちゃん。もうすぐ1歳になります。僕がどんな顔をして帰ってきても変わらず出迎えてくれます。切り替えにつながるし、“ましゅまろ”のためにも頑張ろうと思えます。

 オリックスには山本由伸さんという目標がいます。由伸さんが身近にいたからこそ、近づきたいと思ったからこそ、ここまで頑張ることができました。由伸さんのように、ずっと先発で投げていたいです。1回から9回まで投げて、ずっと2ケタ勝利と規定投球回。身長が低くてもこの世界ではできる。そういうことも証明したいです。僕とペータ(山下舜平大)で引っ張っていく。少しずつ心の中では変化があって、未来図も描いています。(オリックス投手)

 ◆宮城 大弥(みやぎ・ひろや)2001年8月25日、沖縄・宜野湾市生まれ。22歳。少年野球「志真志ドラゴンズ」、中学は「宜野湾ポニーズ」でプレー。興南では1、2年夏に甲子園出場。3年時にU18日本代表に選出。19年ドラフト1位でオリックス入団。21年に13勝を挙げ、パ・リーグ新人王。23年WBCで侍ジャパンの世界一に貢献。171センチ、78キロ。左投左打。年俸8000万円。

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