【ロッテ】益田直也、史上10人目200セーブ…最多672試合で達成「浮き沈みの激しい12年間」

スポーツ報知

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2023.6.17(土) 05:00

9回に3番手で登板し、プロ通算200セーブを達成した益田直也(左)は吉井理人監督と記念ボードを笑顔で掲げた(カメラ・関口 俊明)

◆日本生命セ・パ交流戦 DeNA2―5ロッテ(16日・横浜)

 ロッテ・益田直也投手(33)が史上10人目となる通算200セーブを達成した。DeNA戦(横浜)で5―2の9回に登板。3者凡退で今季18セーブ目を挙げた。通算672試合での大台到達は、史上最多登板での達成となった。セットアッパーから始まり、様々な葛藤と壁を乗り越えてきた鉄腕クローザーが勲章を手にした。

 重圧から解放された瞬間、益田が表情を緩ませた。3点リードの9回2死。戸柱を中飛に仕留めて試合を締めた。史上10人目の通算200セーブを達成。女房役の田村と強く抱擁を交わした。左翼席に張られた「祝・200S」の横断幕に目をやり、再びこみ上げる感激をはにかむように「今日は緊張したぁ」と笑った。

 「うまくいかない長い1年もあったし、うまくいく1年もあった。本当に浮き沈みの激しい12年間だった」。1年目はセットアッパーとして新人王。偶然、一度だけ大役が巡ってきた。12年8月5日のオリックス戦(京セラD)。薮田の不調と内の故障が重なり、プロ初セーブを挙げた。当時の感覚は今も忘れない。

 「めっちゃ緊張して、なんとか抑えられた。8回よりも難しさを感じながら投げた記憶があるね」

 頑強な肉体と太いメンタルを買われ、2年目の13年に伊東監督から守護神に指名された。14年以降は時にセットアッパーもこなしながら12年間で672登板。先発の白星だけではなく、勝利打点は誰なのかまで考えマウンドに立つ。全てを背負って投げるのがクローザーの務めと考えるからだ。

 「みんなの生活がかかっている。あまりスポットライトは当たらないけどシーズン終わった時に大切さが分かるポジション」

 19年以降は順調にセーブを積み上げてきたが、昨季途中は不振に陥り、終盤はオスナにその座を譲った。

 「いつも心はバキバキに折れてるけど、やっぱり悔しかった。でも、あの経験が良かった」

 自分がどれほど抑えにやりがいを感じていたか、再確認した。33歳。1月から例年以上に走り込み、9回のマウンドを奪った。

 「1回打たれて10回抑えても『まだまだ』って見られるポジション。なかなか(失敗時の)傷は癒えへんけどね。やりがいは経験した人にしか分からない」

 心身を削って打ち立てた金字塔。吉井監督からパネルを渡され「監督には『400セーブ行け!』って言われました」と笑った。「失敗した試合もたくさんあるので、何とかそれを取り返せるようにまだまだ投げていきたい」。益田は特別な場所に今なお、魅了されている。(小田原 実穂)

 ◆ちょっといい話

 益田が守護神の務めを全うする理由には、“お家の事情”もある。「打たれたら子どもたち(輝々くんら3きょうだい)が泣くんですよ」。ピシャリといかなかった試合後に自宅に戻ると、一番最初に待っているのは子どもたちからの“おとがめ”だという。「子どもたちのそういう姿を見たり話を聞いたら『やらないと』って思う。野球を理解してるし、周りの友達も野球をやっているのでね」。セーブ成功を一番祈っている最愛の子どもたちの姿が、背番号「52」の背中を押している。(実)

 ◆益田 直也(ますだ・なおや)1989年10月25日、和歌山・紀の川市生まれ。33歳。市和歌山商(現市和歌山)では内野手の控えとして3年夏に和歌山大会ベスト4。関西国際大で投手に転向。11年ドラフト4位でロッテに入団。1年目に新人最多72登板で41ホールドをマークし新人王。13年にセーブ王。178センチ、80キロ。右投右打。既婚。2男1女の父。

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