【侍ジャパン】楽天・松井裕樹の父・良友さん、プレミア12の経験糧に「自分にもチームにもプラスになること得て」
スポーツ報知
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2023.3.3(金) 05:30
8日開幕の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)代表選手にエールを送る第6回は、楽天・松井裕樹投手(27)の父・良友さん(65)。愛息の少年時代からの歩みを振り返るとともに、15年の「プレミア12」で味わった苦い経験を糧に成長した姿を披露することを期待した。(取材・構成=長井 毅)
昨年12月末。侍ジャパンに内定した松井裕樹から良友さんの元に電話があった。
「多分、大丈夫だろうとは思っていたんですけどね。東京五輪には選ばれなかったのでうれしそうでした」
21年の東京五輪は無念の落選。「WBCは絶対に出たい」と熱望していた息子に届いた吉報。父にとっても当然、大きな喜びだった。
通算197セーブを誇る楽天の守護神はどうやって育ってきたのか。
「基本的にはいつも褒めていました。人間は褒められるとやる気が出て頑張ってやるじゃないですか」
「野球のことは素人」と語る父は技術的なことよりも人間的な成長を常に求めた。「今までで一番叱った」と懐かしそうに振り返るエピソードがある。
小学6年の神奈川県の大会。勝てば次戦で対戦するチームの関係者が主審を務めていた時のことだ。
「うちのチームと試合をするのが嫌だからこちらに不利な判定ばかりしていたんです。ど真ん中に投げても『ボール』。裕樹はふてくされてしまって、自分の前に転がったピッチャーゴロを取りに行かなかったんです。マウンドに行ってどなったら、グラブをたたきつけて大泣きですよ。あの時が今までで一番怒りましたね。何であんなことをしたんだ?と聞くと、『どこに投げてもボールと言われたから』だと。その気持ちは分かるけど、『チームでやっているんだから』と教えました」
あの時、マウンドで涙を流した裕樹少年は15年の歳月を経て球界屈指のサウスポーへと上り詰めた。チーム内では後輩も増え、ブルペンエースへと立場も変わったが、良友さんは最近見た息子の内面的な成長が何よりもうれしかった。
2月中旬に楽天の金武町キャンプを訪問した際には新聞、テレビなど各メディアの取材が左腕に殺到した。
「テレビや新聞でしゃべった内容も後輩やチームのことを話していて、いろんなことに目配りができるようになったと思います。裕樹がこれまでお世話になって、身になったことが生きているように思います」
神奈川・桐光学園時代から日の丸を背負って世界の舞台で戦ってきた。何度も現地で観戦した中で忘れられない一戦が15年の「プレミア12」の準決勝・韓国戦(※)。試合終盤に敗戦につながる押し出し四球を与える姿を見て悔しさから声を張り上げていた。
「あの時はネット裏で観戦していたんですけど、ピンチの場面で(裕樹が)出ていって、押し出し。あの時の韓国の打者はホームベースにかぶるくらいギリギリまで寄って『当たってもいい』と思って命懸けできているなと感じました。配球も外寄りで強気で攻められなかった。要するにぶつけるくらいの気持ちで逃げてはいけないんだと」
チーム最年少だった17年の前回大会。そこから努力と数多くの経験を積んで臨む今大会が間もなく始まる。
「大会ではけがなくやってもらうことが一番です。もちろん勝てば最高ですけど、野球は1人の力ではどうにもできない。まして他国はメジャーでバリバリやっている一流どころが出てくる。どんな結果になろうが、シーズンに入る時にマイナスにならないようにしてほしい。結果にとらわれないで、日本代表で経験したことが自分にとっても、チームにとってもプラスになるようなことを得て帰って来てほしいですね」
優しい口調で息子の健闘を願った。
(※)15年11月19日のプレミア12準決勝・韓国戦(東京D)。3点リードの9回、則本が3者連続安打などで1点を失い、無死満塁で松井が救援もストライクが1球しか入らず、押し出し四球で降板した。
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