オリ党の集うすし処大将が中嶋監督に代わって黒歴史ストップ宣言「バファローズ史上初の日本一になります!」
スポーツ報知
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2022.10.22(土) 12:05
虎党が幅を利かす大阪ミナミの道頓堀にあって、すし処「おの冨久」はオリ党の集う希少な店だ。昨年のリーグ制覇時には常連客の感涙姿が関西各局の情報番組で取り上げられ、今やファンの聖地としてすっかり有名に。先の「10.2」もテレビカメラが店内に入り、リーグ連覇に歓喜する様子がお茶の間に届けられた。
大将の小野雄一郎さん(52)は元々が大の近鉄ファン。先代の父・利雄さん(82)の影響で物心つく頃には近鉄ファンクラブに入れられ、父と一緒に日生球場に通い、オフには西本幸雄監督が店に来て膝の上で可愛がられたという筋金入りだ。
そんな愛してやまない近鉄が04年に消滅。わだかまりはあったが、バファローズの愛称が引き継がれたことでオリックスを応援してきた。そして昨年、「オリックス・バファローズ」誕生から17年目での初優勝。複雑な球団の歴史を振り返りながら「これで近鉄と阪急、ブルーウェーブ、そしてオリックス・バファローズの4つのファンが晴れてひとつになれました。正真正銘オリックスはバファローズになりました!」と話し、多くのファンから共感を集めた。
さて今年。日本シリーズを目前に控え、大将に〝名言第2弾〟をリクエスト。すると「今年は日本一宣言いたします。昨年のオリックス・バファローズはもちろん、近鉄バファローズでもできなかったこと。バファローズ史上初の日本一になります!」と、これまた心に刺さる言葉を返してくれた。
振り返るとオリックスは前身の阪急ブレーブス時代に3度、ブルーウェーブ時代の1996年に1度の日本一を達成。しかし球団愛称のバファローズはといえば近鉄時代に4度の日本シリーズに敗れ、初めて「オリックス・バファローズ」として挑んだ昨年シリーズでもヤクルトにはね返された。近鉄がパールスから改名したのは1962年。以来バファローズは誕生から60年連続で日本一を逃し続けてきた。
「うちの親父(先代大将)は今もオリックスには関心がない。そんなオールドファンはまだ多いと思うんです。でも僕は今のオリックスが大好き。もちろん近鉄を応援していたことを忘れてはいない。僕が変わらず応援し続けてきた『バファローズ』が還暦を超えて日本一になれば、親父のような近鉄ファンも一緒になって喜べると思うんです」
オリ党の店と知って店を訪れる新しいお客さんも増えた。そんなこんなで球団へのお返しの意味から今シーズンは年間指定席2席を購入。「おの冨久シート」として常連客に提供してきた。8月のチーム恒例イベント「Bs大阪大阪夏の陣」では球団からイベントパートナーの依頼があり、著名企業と並んでスポンサーに名を連ねた。
そんなオリックス愛あふれる大将のバファローズ日本一宣言。中嶋監督の日本一宣言とニュアンスこそ違うが、頂点を願う気持ちに変わりはない。
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