引退発表・内海哲也の素顔 2010年選手会長就任で“派閥”撤廃 今の巨人の団結力作る

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2022.8.17(水) 05:25

笑顔を見せる内海哲也

 西武は16日、内海哲也投手兼任コーチ(40)が今季限りで現役を引退すると発表した。巨人時代の2011、12年にはセ・リーグ最多勝に輝くなど一時代を築いた左腕に、西武が来季の専任コーチ就任を要請する方針であることが分かった。19年の現役生活に終止符を打つ内海は球団を通じ、「今の気持ちは『やりきりました』の一言です」とコメント。練習熱心で周囲に慕われたエースを、巨人時代から取材した片岡優帆記者が「見た」。

 18年12月20日、内海の西武移籍が決まった。契約更改のわずか9日後だった。翌年1月には長野も広島移籍。2人が人的補償で巨人を去るのは大きな衝撃だった。

 その後、内海は荷物整理で訪れた東京ドームのロッカーで人知れず感極まっていた。「チョーさん(長野)が自分のネームプレートを勇人のところにつけていて。それを見て鳥肌が立った」。後輩の坂本に向けた無言のメッセージに心震わせた。

 「自分も同じようなことをしたい」と、エース・菅野のロッカーに「UTSUMI」のプレートを置き、「自分の場所は次、誰が使うのかな」と立ち去った。後日、菅野が志願して内海の場所に引っ越した話は有名だが、その裏には伝統継承への思いを込めた内海の事前の行動があった。「智之が自分から『ロッカー使わせてください』と言ってきてくれてうれしかった」と喜ぶ姿が、強く印象に残っている。

 選手会長に就任した10年。それまでチーム内にあった派閥のようなものを撤廃した。「投手と野手がもっと食事に行って交流を深めれば『あいつのために打ってやろう、抑えてやろう』と思えるはず」。風通し良く、互いに何でも言える強い集団に改革した。

 翌11年シーズン最終戦、長野のサヨナラ満塁本塁打で内海にハーラートップタイの18勝目がつき、最多勝確定で涙を流して喜びあった試合は、チームの結束を象徴する名場面。今では投手・野手の垣根のない交流が当たり前になっている。

 長年、代名詞のように続けた猛練習の理由は、「へたくそやから」。数々のタイトルを獲得しても謙虚で貪欲だった。不振や故障で2軍調整中も下を向かず、「愚痴は俺が聞いてやるからな」と、若手の相談役を買って出た。周囲から絶大な信頼を得て、慕われた。

 東京ドームのロッカーには現在も内海のネームプレートがある。強烈なリーダーシップと努力で築いた巨人の新たな伝統。「内海さんは大尊敬する先輩です」という菅野をはじめ、後輩たちに思いは受け継がれている。(09~11、13~21年巨人担当・片岡 優帆)

 ◆内海 哲也(うつみ・てつや)1982年4月29日、京都府生まれ。40歳。敦賀気比高から東京ガスを経て、2003年のドラフト自由獲得枠で巨人に入団し、11年から2年連続最多勝。18年に炭谷のFA移籍に伴う人的補償で西武に移籍した。昨オフから兼任投手コーチ。186センチ、92キロ。左投左打。

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