隠れた「最少記録」 北海道日本ハム・西川遥輝選手が2リーグ制以降初の記録に挑む

パ・リーグ インサイト 松下雄馬

2016.6.29(水) 00:00

札幌ドーム(C)PLM
札幌ドーム(C)PLM

「この場面、併殺打は何としてでも避けたい」。試合中にこのようなことを思った経験があるだろう。だが、併殺打を避けようとするがあまり、弱気なスイングになってしまっては元も子もない。野球という競技をしている以上、塁状況が詰まっている際にはどうしても併殺打が付きまとうものなのだ。

しかし、北海道日本ハム・西川遥輝選手は違う。過去2年間、シーズンの併殺打はいずれもたったの1。今年も6月29日時点で73試合を終え、併殺打は一つもない。シーズンも半分が過ぎ、すでに折り返し地点を過ぎているだけに、「今年も」という期待がかかる。

ところで、併殺打を打ちにくい打者とはどのような選手なのか。普通に考えれば、左打者で足が速い選手が真っ先に思い付くだろう。しかし、過去の記録で併殺数が少なかった選手を見てみると、必ずしも足が速いという特徴が当てはまるというわけではなかった。もちろん足が速いに越したことはないが、その他の能力も重要になってくるというわけだ。だとすれば、併殺打を打たないためには他にどのような能力が必要なのだろうか。

まずは、しっかりと外野に飛ばせるパワーと、内野手の間に打ち分けられるバットコントロールが必要だろう。外野に飛ばせば、併殺打になることはまずない。そして内野手の間の深い位置などに転がせば、オールセーフという最良の結果になることさえある。さらに、もう1点は相手の内野手が持つ印象であろうか。「●●は強い打球が飛ぶことが多く、前で守れない」という印象を備え付けてあれば、どうしても後ろで守らざるを得ない。そのわずかな違いが併殺崩れという現象につながるのだろう。

過去を振り返ってみると、西川選手同様に2年連続で規定打席到達の上シーズンの併殺打が1以下だったという選手は2リーグ制以降、4人存在した。しかし、3年連続ともなれば、2リーグ制以降誰一人として達成しておらず、2リーグ制以降初の記録となる。併殺打部門での記録がないため表彰こそされないが、誇れる記録であると言っていい。

<規定打席到達者によるシーズン併殺打2年連続1以下>
蔭山和夫氏【南海】1950年(併殺打1)、1951年(併殺打1)
八田正氏【東京】1965年(併殺打1)、1966年(併殺打0)
松本匡史氏【巨人】1982年(併殺打0)、1983年(併殺打1)
武藤孝司氏【大阪近鉄】1997年(併殺打0)、1998年(併殺打1)

今年の残り試合はあと70。西川選手は併殺打を1以下におさえることができるのか、はたまた2つ以上の併殺打を記録してしまうのか。塁状況が詰まっている際の西川選手の打撃結果から目が離せない。

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