「みんな日本に恩返しをしたいと思っている」日本プロ野球外国人OB選手会はなぜ生まれたか

Full-Count

2018.12.16(日) 19:30

北海道日本ハムOBのカルロス・ミラバル氏※写真提供:Full-Count(写真:豊川遼)
北海道日本ハムOBのカルロス・ミラバル氏※写真提供:Full-Count(写真:豊川遼)

設立者は語る「恩返しをしたくても、やり方が分からない」

 誕生から80年以上となる日本のプロ野球。多くのファンに愛されてここまで発展してきた歴史の中で、世界中から活躍の場を求めて来日した外国人選手の存在も忘れてはならない。80年を越えるプロ野球の中で大活躍をみせた選手、残念ながら力を出し切れなかった選手、その全ての助っ人たちが歴史に名を刻んできた。

 ファンの間では「思い出の外国人選手」として語り草にはなるものの、選手本人は退団し、それぞれの母国へと帰国すると、再び日本と繋がりをもつことは難しい。そのような現状を変えようと立ち上がったのが「一般社団法人 日本プロ野球外国人OB選手会」(以下:JRFPA)だ。

 設立者であるウィリアム・ブルックス氏にはJRFPA誕生に対し熱い想いがあった。

「外国人選手はみんな日本に恩返しをしたいと思っていますが、そのやり方がわからない。日本を離れたらその機会を得るのは難しいです。外国人が日本にカムバックできるような環境をつくるためにJRFPAを設立しました」

 ウィリアム氏はアメリカ・フロリダ州出身で、外野手として高校生までプレー。既に日本に住んで15年以上であり、とても流ちょうな日本語を話す。現在はOB選手のマネジメント業務などを行い、日本と外国人選手を繋ぐ役割を担っている。

 多忙な中でも長年、日本プロ野球のファンとして応援を続けているウィリアム氏。その面白さを国内外に伝えるために新たな挑戦を決断し、その一環が今回のJRFPAの設立だった。ちなみに日本人選手のOB会である「公益財団法人 全国野球振興会」(プロ野球OBクラブ)とは友好関係にある。

誕生から1か月で元北海道日本ハムのミラバル氏のイベントを開催

 これまでアレックス・ラミレス監督が横浜DeNA、元千葉ロッテのフリオ・フランコ氏がBCリーグの石川ミリオンスターズ監督と外国人選手が指導者になったが、まだ事例は少なく稀なケースだ。こうして発足したJRFPAには2018年11月時点で、外国人初の沢村賞に輝いたジーン・バッキ―氏を筆頭に、2003年に北海道日本ハムの開幕投手を務めたカルロス・ミラバル氏など63名の会員がいるという。

 JRFPA誕生から1か月が経過した12月9日には来日中のミラバル氏を囲んで初の公開イベント「ミラバルと忘年会」が開催された。会場は東京・赤坂見附にあるカラオケスナック「UTANOB」で、このお店は現役時代は北海道日本ハムの外野手として活躍しミラバル氏在籍時にはコ―チを務めた嶋田信敏氏がマスターを務めている。

 ミラバル氏の乾杯の音頭で始まったイベントでは、ファンから北海道日本ハム時代についての質問が多く飛び出した。当時は先発だけではなく抑えとしての経験もあるミラバル氏。ファンから「どちらの役割がやりやすかったか」の質問に「先発の方が楽だったよ。たとえ序盤は負けていても試合全体を考えれば勝てる可能性があるからね。抑えはエキサイティングだったね」と答えている。また、抑えについては2000年、巨人とのオープン戦で高橋由伸氏、松井秀喜氏、そして清原和博氏の3人を仕留めたことで抜擢された裏話を披露した。

 最後にはミラバル氏の選手カードやオリジナルTシャツをかけてじゃんけん大会が行われるなどイベントは大盛況のうちに終了。イベント中は通訳もおり言葉の壁も解消されてなごやかな雰囲気で行われた。オフには多くの日本人選手がトークショーなどを開催するが、こうして外国人選手が主役のものは、初なのではないだろうか。

 設立から1か月弱でイベントを開催したJRFPA。既に次なる構想があり、野球教室の開催やグアムのチームとの交流試合、外国人選手だけが登場するゲームの制作、外国人OB選手が来日し、日本人OB選手との試合開催など構想は多岐にわたる。「夢」の実現に向けて着実にその一歩を踏み出している。果たして次はどのような形で野球界にムーブメントを起こすのだろうか。今後のJRFPAの活動に期待したい。

(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

記事提供:Full-Count

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