初めてその姿を生で見たのは高校2年生の時だった。野球部の関西遠征の帰りに大阪ドーム(現 京セラドーム大阪)でプロ野球観戦を行うことになった。近鉄バファローズ対福岡ダイエーホークス。細谷圭内野手の脳裏にその時の光景は鮮明に残っている。
「あれが井口選手か!という感じでしたね」
グラウンドでは一人の選手の動きだけを追っかけた。井口資仁内野手。同じく内野手だった細谷はセカンドを守るスーパースターのプレーを見逃すまいと目を凝らした。チームメート達がマウンド上の投手と打席のバッターとの勝負に集中をしている中で一人、セカンドを守る背番号「7」の動き方をチェックした。
「どんな風に構えてボールを待っているのか、ピッチャーが投げたら、どういう動きをするのか。カバーの仕方。ポジショニング。そういう細かいところまで、井口さんの動きだけをずっと見ていたのを覚えています」
憧れの選手だった。だからホークスを離れ、海を渡りシカゴ・ホワイトソックスに移籍後もその活躍を追っかけ続けた。高3の夏。テレビの向こうの井口はメジャーで活躍を続けていた。印象深いのは当時ヤンキースに在籍をしていたランディ・ジョンソンから右に本塁打を打ったシーン。誰もが知るメジャー屈指の投手から日本人打者が逆方向に大きな弧を描いて、軽々とホームランを打ったシーンは衝撃的だった。
そして細谷は05年10月に行われた高校生ドラフト4位でマリーンズに入団をした。08年にプロ初安打初打点を記録するなど20試合に出場をして徐々に頭角を現した。迎えた09年1月下旬。衝撃のニュースが飛び込んできた。井口のマリーンズ入り。憧れの選手とチームメートとなった。
忘れもしない最初の挨拶は石垣島キャンプ出発の日だった。羽田空港で出発を待つ井口を見つけると挨拶をした。本当に短い一言ではあったが、全身から汗があふれ出てくるような感覚がした。この年、一軍の春季キャンプに抜擢されていた細谷は同じ内野手として一緒に練習メニューをこなす。憧れ、尊敬をし続けた男と同じ空間で同じ時間を過ごし、白球を追いかける。夢のように感じた。
「井口さんと一緒のチームになって、一緒に練習をする日が来るなんて夢にも思わなかった。凄いを通り越しているような感覚。緊張の連続でした」
そんな井口と1月の沖縄自主トレを共にすることになるのは11年。10年オフには遊撃のレギュラーとして不動の地位を築いていた西岡剛内野手(現タイガース)がメジャー移籍をしてチームを離れることになったのがキッカケだった。内野手の細谷にとってはレギュラーをつかむ千載一遇の大チャンス。だから、シーズンオフに行われた球団納会の帰り際に大先輩を見つけると勇気を振り絞り、頭を下げた。「1月の自主トレ、一緒にやらせてください」。二つ返事で快諾をしてもらった。そして、その自主トレの日々は細谷にとって衝撃の連続だった。
「今までの自主トレの概念が180度、変わったような感覚でした。一流になるためにはこういう事をしないといけないのだと知りました。衝撃でした」
朝の5時には起床して6時には1時間ほどひたすらランニング。その後、朝食をとり次から次へと基礎体力トレや技術練習などのメニューが続いた。無駄な時間がほとんどない濃密なトレーニングに最初は戸惑いながらも、なんとかしがみついた。今までの自分の甘さを痛感し、この世界で活躍するためにもっと自分を追い込み、突き詰めないといけないことを悟った日々だった。今の細谷にとって原点となっている経験だ。
それから、なにかと気にかけてもらえるようにもなった。ロッカーも隣ということもあり、声を掛けてくれる機会が増えた。忘れられない出来事がある。細谷がスタメンに抜擢をされ、意気揚々と臨んだある日のゲーム。結果は3三振で悔しさを噛み殺しながらロッカーに戻ってきた。帰り際、井口がポン、ポン、ポンと座っていた細谷の膝の部分を3度だけ叩いて帰宅をした。言葉はなかった。しかし、打ちひしがれていた若者にはそれで十分だった。憧れの大先輩の気遣いに涙がこぼれ落ちそうになった。
月日は流れた。井口は17年9月24日のファイターズ戦(ZOZOマリンスタジアム、14:00試合開始)をもって現役を引退することになった。高校時代、スタンドから憧れの眼差しで見つめ、テレビで応援をし続けたレジェンドとチームメートとして過ごした9年間。その日々はかけがえのない宝物だ。
「これからはボクたちの世代がマリーンズを引っ張っていかないといけないと思っています。強いマリーンズにしたい。そのためにはボクたちの世代がもっと頑張らないといけない。きっと井口さんも、自分たちが活躍し、引っ張っている姿を期待されていると思う。期待に応えたいと思っています」
昨年は116試合に出場して打率・275、3本塁打、40打点と大きな飛躍を遂げたものの、今季は不本意な一年となってしまった。憧れの大先輩にさらに成長した姿を見せるはずが、一軍の舞台から遠ざかってしまった。不甲斐ない想い、悔しさ。これまでのマリーンズで絶対的な存在だった背番号「6」がグラウンドを去る事になる中で、これからどのようなパフォーマンスを見せることができるか。細谷は強い決意を込める。これまで学び、吸収し優しく接してくれた日々のすべてをぶつける。マリーンズの勝利のために魂を込める。細谷の新たな戦いが始まる。
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