シーズンを通して安定感を見せた米国人2投手
18年シーズンはセ・パ両リーグとも外国人投手の活躍が目についた。千葉ロッテマリーンズにも2人の大型右腕がいた。マイク・ボルシンガーとタナー・シェッパーズ。苦戦が続くチームの救世主になる大きな可能性を秘めている。
CS進出が絶望となったチームに秋の訪れは早い。大きな話題となった生え抜き福浦和也の2000本安打達成後は、現役引退選手の話題も出始めた。すでに来シーズンが始まっているかのような様相である。東京湾から吹き付けるマリン名物の強風は、冬の寒風に近いものすら感じさせるほどだ。
井口資仁新監督を迎えた18年の新生千葉ロッテ。投手陣では若手の成長株が多く現れ、井上晴哉という大型大砲も覚醒した。シーズン後半には甲子園を沸かせた期待の主砲候補、平沢大河や安田尚憲も1軍定着と明るい光も見えた。しかし総合力や経験といった部分を補うには至らず、2年連続のBクラスに甘んじてしまった。そんな中、年間を通じて安定感のある活躍をみせたのが2人のアメリカ人投手、マイク・ボルシンガーとタナー・シェッパーズである。
「契約などいろいろあるけど、ぜひ千葉ロッテにいてほしい投手。ボルシンガーは終盤、故障などあったけど、年間通じて安定していた。シェッパーズは先発という大きな可能性が見えた。2人とも日本で成功したいという気持ちも強いみたいだしね。状況もあるけどこの2人がローテーションに定着してくれれば、チームはある程度、計算できると思う」
ボルシンガーのオールスター戦出場は取り上げられたが、チーム状況からどうしても話題になりにくい。しかし、シーズンを通じて2人を見続けてきた清水直行投手コーチは2人を高く評価している。
2度のMLBドラフト指名を拒否した経歴を持つボルシンガー
前半戦の千葉ロッテを支えたのはボルシンガーと言っても過言ではないだろう。開幕からローテーション定着し、前半で12勝を挙げた。球種はカット気味に動くファストボールとチェンジアップ、そして代名詞とも言えるナックルカーブ。そのナックルカーブはダルビッシュ有(カブス)が「あのボールは間違いなく有効になる」と断言したほどだ。
「ナックルカーブを覚えたのは大学時代。それまではフォーシームとチェンジアップ、カッターをよく投げていた。でも100マイル(約161キロ)のスピードが出るわけでもなかったから、変化をつけないとやっていけない。いかに球速を落とした球を投げるかだと思った」
子供の頃からプロ入りが夢だった。06年MLBドラフトでインディアンスから34巡目(全体1031位)に指名された。この時は契約せずアーカンソー大へ進学、在学中の09年には33巡目(全体993位)でアスレチックスから指名。しかし驚くことに2度目も契約せず、翌10年15巡目(全体451位)指名でダイヤモンドバックスに入団した。
「学生時代のドラフト指名は正直迷った。だって子供の頃からからの夢だったからね。実際にプロ側の期待度や評価も高かった。変な話、プロ入りすれば良いお金ももらえる。でもまだ時期が早いんじゃないかと思った。自分自身もまだ足りない部分があると感じていたしね。だからナックルカーブを覚えたのも大学時代。いろいろと成長できたと感じたから、自信を持ってプロ入りもできた」
「メジャーではやってやろう、成功しようという気持ちが強かった。でも、なかなか結果も出ずに、メジャー定着もできない状況になってきた。やること、できることをすべてやろうと思った。そんな時に千葉ロッテの話があった。タイミングも良かったと思うよ」
ボルシンガーはこう話す。メジャーでの実働4年間で48試合登板、8勝19敗。15年には移籍したドジャースで先発ローテーションに定着したが、その多くはマイナー生活だった。
シェッパーズは学生時代から評価は高く、05年ドラフト29巡目(全体873位)でオリックスオールズから指名を受けた。この時は契約せずカリフォルニア大フレズノ校へ進学、08年にはドラフトの目玉と言われたが、直前に故障。結局、2巡目(全体48位)でパイレーツに指名さたが契約せず、独立リーグのセインツへ。翌09年ドラフトでの1巡目指名(全体44位)でレンジャーズへ入団した。
大きく異なる環境に適応する柔軟性が大きな武器
レンジャーズでは主にブルペン担当だったが、14年には先発として開幕投手も務めたほど。しかしその後は故障などもありマイナー生活も味わう。メジャー実働6年間で180試合登板、12勝7敗3セーブを記録している。
「もちろん学生時代からメジャーでやっていく自信はずっと持っていた。絶対に結果を出そうという気持ちも強かった。実際にドラフトでも良い評価をしてもらったしね。でも、なかなか結果も出ずにチャンスも少なくなってきた。故障をしてマイナーでプレーしている時などにいろいろ考えた」というシェッパーズに、日本からの話がやってきた。
「千葉ロッテから話が来た時にはチャンスだと思った。日本でプレーしてその後メジャーで成功した投手もいる。多くの日本人選手もメジャーで素晴らしい結果を残している。実際、ダルビッシュなどはレンジャーズで一緒にプレーしたからね。日本野球のレベルの高さはよく知っている。だから自分自身の環境を変えて、挑戦してみようと思った。必ず自分にプラスになるだろうと信じていたね」
18年にNPB入りした外国人投手では、巨人のテイラー・ヤングマンに注目が集まった。カージナルス復帰を果たし最多勝を獲得したマイルズ・マイコラスの後釜として、入団した11年ブルワーズのMLBドラフト全米1巡目(全体12位)投手。しかし、左手の骨折もあり1年目は3勝に終わった。対照的に千葉ロッテの2人は年間を通じてチームに貢献した。清水コーチは語る。
「チーム事情もあってそこまで報道もされなかった。でも本当に良い影響をチームに及ぼしてくれた。ボルシンガーは後半、故障などもあったけど先発投手として投げてくれた。シェッパーズは最初、ブルペンだったけど、先発という大きな可能性を見つけ出せた。2人とも性格的に真面目だしハングリー精神もある。若い投手の多い中にあって、手本になっている部分もある」
ボルシンガーに関してはキャンプ、オープン戦を通じて評価も高く、期待に違わぬ結果も残した。環境が大きく異なる中ですぐに順応しオールスター出場を果たすというのは並大抵のことではない。
「もちろん来日前に日本のことはいろいろとリサーチした。技術的なことはほとんど変えていないけど、コンディショニングなどはいろいろと試して適応させた。日本は梅雨もあるし、加えて夏が信じられないほど暑い。だから例えば、屋外での調整は短めにして、屋内でバイクを漕いだりウエイトをしたりね。汗だけはしっかり流すことは変わらないけど、その方法を変えた部分はあるね」
シェッパーズはブルペンで投げていく中で新たな可能性が見えた。2軍での調整を重ね、8月23日の埼玉西武戦でNPB初先発。シーズン中にいきなりの配置転換はとても難しい。しかし新しいことに意欲的に取り組む姿勢に好印象を受けている、と清水コーチも感心している。
「アメリカでも先発の経験はあるし、そこまで気にはならなかった。チーム事情もわかっていたし、心の準備のようなものはあったのかもしれない。またブルペンから先発へ転向となると新しいことにも取り組む。登板間隔の調整や球数のことなどね。それを1つずつクリアしていくのは楽しいよ。僕自身、常に新しいチャレンジが好きだからね」
「やはり短いイニングだと攻め方は少し変わってくるかもしれない。ブルペンならば対戦する打者が少ないので、その日、もっとも良い球中心でも良い。球に力があれば押していけば良い。でも先発はそうもいかない。だから外からのスライダーなどでカウントを作るような配球も試したりしている」
登板間の調整方法や配球など、これまで培ったものに日本式をミックスさせてさらなる成長をしている。柔軟でクレバーな考えを持つ2人が結果を出せるのは必然とも言える。
強い千葉ロッテは攻守のバランスが命 先発投手の安定に不可欠な2人の外国人
ボルシンガーは「いつかアメリカに帰ったら大学のコーチをやってみたい気持ちもある。もちろんどうなるかはわからないけどね。でも日本でいろいろと学んだことは大きい。もしかすると僕の教えた投手がNPBでプレーするかもね」と語った。シェッパーズは「今後、いろいろな状況もあるのでどうなるかわからないけど、千葉は大好きだよ。カリフォルニア出身で海は好きだしね。まだまだ良い投球ができるようになりたいしその自信もある。やるべきことをしっかりやるだけだね」と話し、故郷と千葉をオーバーラップさせているかのようだった。
千葉ロッテというのは不思議なチームだ。決して派手ではないが、どこよりも熱い声援を受け、いきなり奇跡的な強さで勝ち進む。
19年に向け、ホームランテラスなど打者有利になるような球場改修プランも発表された。千葉ロッテの伝統は、かつての「ミサイル打線」、そして現在は「マリンガン打線」と呼ばれる攻撃力。しかし日本一に輝くには柱となる先発投手が存在し、強固な守備力も同居する必要がある。74年は金田留広(16勝)、村田兆治(12勝)、木樽正明(13勝)。05年は渡辺俊介(15勝)、小林宏之(12勝)、ダン・セラフィニ(11勝)。10年は成瀬善久(13勝)、ビル・マーフィー(12勝)。強い時代の千葉ロッテに共通しているのは、攻守のバランスの良さだ。
千葉ロッテが頂点に立つために、先発投手がしっかりと固まれば……。ボルシンガーとシェッパーズの2人は、間違いなくこれからもチームにいてほしい投手だ。台風24号が千葉地方に歴史的猛威をもたらしている同じ頃、「来年も千葉ロッテで投げたい」というボルシンガーのコメントがメディアを賑わせた。19年、千葉からの風が全国を席巻するかどうかのカギは、言うまでもなくこの2人の動向。今オフの大きな話題になるのは間違いない。
(山岡則夫 / Norio Yamaoka)
山岡則夫 プロフィール
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。
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