ハードルが高い日本人右打者の30発
自身初となるタイトル獲得に向けて、本塁打量産中の埼玉西武・山川穂高選手。8月17日現在で34本のアーチを描き、自己最多の本塁打を更新中だ。
30本の大台に乗せた山川選手は、球団の日本人右打者では2015年に37本塁打を放ち本塁打王に輝いた中村剛也選手以来3年ぶりの30本塁打達成だ。現役最多6度の本塁打王のタイトルを獲得している中村選手は、2008年からの10年で実に5度も30本塁打以上を記録している。
だが中村選手を除くと、2008年からの10年間でパ・リーグの日本人右打者で30本塁打以上放った選手は、2009年の山崎武司氏(当時東北楽天)の39本、2015年の福岡ソフトバンク・松田宣浩選手の35本、北海道日本ハム・中田翔選手の30本の3人しかいない。右の和製大砲をパ・リーグ全体で育てられていないというのが現状だ。
パの日本人右打者の30発コンビ・トリオとなれば平成で3例目
今季は山川選手の前を打つ浅村栄斗選手もここまで23本塁打放っており、このペースでいけば、最終的には32本放つ計算になる。浅村選手、山川選手の“日本人右打者の30発コンビ"誕生に期待が膨らむが、同一球団の日本人右打者30本塁打コンビというのは、意外にも少ない。
直近のパ・リーグ“日本人右打者の30発コンビ"は、17年前、2001年の福岡ダイエーまで遡る。それもコンビではなくトリオでの達成だ。この年の福岡ダイエーは、小久保裕紀氏が44本塁打、城島健司氏が31本塁打、井口資仁氏が30本塁打を放った。
その前の達成はというと、1992年に西武が記録した、清原和博氏の36本、秋山幸二氏の31本にまで遡る。AK砲は5度もクリアしているが、平成で達成したコンビ、トリオは上記した2例のみとなっている。
そもそも30本塁打以上を放てる日本人選手が少ないなど、ハードルが非常に高いものとなっているが、浅村選手も残り試合で7本塁打以上を放ち、平成で3例目、そして17年ぶりの快挙達成となるか。
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