高校3年の夏を取り戻したいーー。
11月29日、甲子園にて「あの夏を取り戻せ」全国元高校球児野球大会が開催された。“あの夏”とは、新型コロナウイルスの感染拡大により、夏の甲子園大会が戦後初めて中止となった年。オリックス・山下舜平大投手(福岡大大濠高)や、北海道日本ハム・細川凌平選手(智弁和歌山高)も高校最後の甲子園を目指していた、2020年の夏のことだ。
当時、城西大城西高校3年生で野球部に所属していた大武優斗さんは「僕たちは何年経っても、ずっと目指してきた甲子園が開催されなかったことを引きずって生きていくのではないか。だったら自分たちで終止符を打って、前に進めるようなプロジェクトをやりたい」と、2022年8月に「あの夏を取り戻せプロジェクト」を発足させた。
まずはSNSのアカウントを開設し、出場チームを集めることから始めたという。大会に参加する選手とはオンラインでやりとりしていたものの、互いに思いを確かめるため、春休みの期間にキャンピングカーやヒッチハイクで岩手県から熊本県まで巡り、直接会話もしたそうだ。
資金調達に関しては、最初はクラウドファンディングを呼びかけていたが、「応援はしてくれるけど十分な資金が集まらなかった」とスポンサー営業に切り替えた。プロジェクト実行委員会の思いに共感した企業が協賛したほか、古田敦也氏らプロ野球OBも大会アンバサダーとなりプロジェクトをサポート。ついに実現まで漕ぎ着けた。
2020年当時高校3年生だった元球児・約700名が聖地に集まったこの日。パーソル社から「2023 パーソル CS パ」で使用したボールが提供され、選手たちは5分間ずつシートノックで体を動かした。憧れの地で仲間と共にノックを受け、心を躍らせているのだろう。大きな声をかけ合ったり、鋭い当たりに飛び込んで泥だらけになったりと、めいっぱい楽しむ様子が見られた。
正午、オーロラビジョンにオープニングムービーが流れ、おなじみのサイレンとともに開会宣言が行われる。ファンファーレが鳴り響くと、母校のユニフォームを着た選手たちが入場。笑顔で甲子園の土を踏みしめる姿が印象的だった。
開会セレモニーで、大会発起人の大武さんは「今日という日が“あの夏世代”にとって未来に進む、そんな日になりますように」とあいさつ。そして、聖隷クリストファー高校OB(静岡県)の大橋琉也さんによる選手宣誓、シンガーソングライター・HIPPYさんによるテーマソング『君に捧げる応援歌』の歌唱と続き、プレイボールの時を迎えた。
特別試合の初戦は松山聖陵高校OB(愛媛県)対佐久長聖高校OB(長野県)。初回からいきなり150km/h超えが計測され、スタンドからはどよめきが。夏の甲子園さながらブラスバンドの演奏、チアリーダーのパフォーマンスも選手を鼓舞する。
佐久長聖高校OBが初回に1点を先制するも、4回表に松山聖陵高校OBが同点に追い付き、試合は1対1の引き分けに。規定により1時間10分で試合終了となったが、選手たちの表情には充実感が溢れていた。
「選手にとって価値のあることを提供できたのなら、プロジェクトは成功だなと思いました」
さらに、第2試合の倉吉東高校OB(鳥取県)対関大北陽高校OB(大阪府)、「勝負を超えた横の繋がり」をテーマとした選手間の交流会も開催。翌30日、12月1日には兵庫県内の計5球場で交流試合が実施された。濃い3日間を過ごした大武さんは「一生忘れないだろうなと思いますね。大会が終わった直後は言葉が出てきませんでした。今も整理ができていないくらいです」と振り返る。
「限られた時間でしたが、甲子園での時間を一人ひとり味わっている姿を見て、ここまでやってきて本当によかったと思いました。選手が行進しているときも自然と涙が出てきました」と話したのは、大武さんと共に運営を担当した宇佐美和貴さん。同じくプロジェクトの中心メンバーである小泉真俊さんも「シートノックを終えた選手が『めっちゃ楽しかった』と笑顔で言っているのを見て、選手にとって価値のあることを提供できたのなら、プロジェクトは成功だなと思いました」と語る。運営を統轄していた2人は負荷が大きく、当日も不安を抱えていたが、選手たちの喜ぶ様子を見て報われた気持ちになったそうだ。
今後の展望を尋ねると、「これまでたくさんの方に支えてもらったので、今度は自分たちが支える側になりたい」と口を揃えて答えた3人。野球界をはじめとする多くの人々を動かし、大規模な企画を完遂したこの経験が糧となり、また誰かの夢を後押しするだろう。
取材・文 高橋優奈
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