なぜ西川遥輝は東北楽天で輝き増した? 移籍で復活した経験者が語る“気持ちの変化”

Full-Count

2022.5.17(火) 07:45

楽天・西川遥輝※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)
楽天・西川遥輝※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)

中日のMVP捕手→移籍先の巨人でも日本一に貢献した中尾孝義氏

 日本一に輝いた2013年以来9年ぶりのリーグ優勝へ向け、楽天が首位をひた走っている。キーマンとなっているのが、開幕から全36試合に「1番・左翼」でスタメン出場し、チームトップでリーグ3位の出塁率.416をマークしている西川遥輝外野手だ。昨季限りで北海道日本ハムを自由契約となったが、新天地で輝きを増した。現役時代の1989年に中日から巨人へ移籍し、カムバック賞を受賞した野球評論家・中尾孝義氏が、自身の体験をもとに西川変身の要因を分析する。

 西川と言えば、北海道日本ハムの「顔」だった。俊足を武器に盗塁王を4度獲得し、ゴールデングラブ賞にも4度、ベストナインも2度輝いた。バットコントロールが抜群で、2016年の日本シリーズではサヨナラ満塁本塁打を放ち、チームの日本一に貢献。端正なマスクで人気もあり、西川のファンは「ハルキスト」と呼ばれた。

 ところが海外FA権を取得した昨季、打率.233の不振に終わると、オフには球団から契約を提示されない「ノンテンダー」となり、選手生命の危機に立たされた。そこへ手を差し伸べたのが楽天だった。中尾氏は西川の心境について「拾ってもらった恩を返したいと思っているはず。今は野球をやれるうれしさ、楽しさを実感しているところでしょう」と推察する。

西川は「1番として信頼され、やりがいを感じているでしょう」

 中尾氏も中日がリーグ優勝した1982年に正捕手でMVPを受賞するなど、チームの看板として活躍していたが、外野に転向していた1988年のオフに巨人との交換トレードが決まった。「当時のトレードには今以上に、チームから放り出されるような嫌なイメージがありました」と吐露する。

 トレードは中尾氏を捕手として評価していた巨人サイドが望んだもので、当時の藤田元司監督から、伸び悩んでいた斎藤雅樹投手のリードを託された。主力の原辰徳内野手(現巨人監督)からは伊豆での自主トレに誘われ、集まった岡崎郁、駒田徳広らと一緒に練習。「キャッチャーに戻れたことで、野球が楽しくて楽しくてしようがなかったですし、原君が声を掛けてくれたお陰でチームに溶け込むことができた。巨人はプレッシャーがかかるチームと聞いていましたが、僕は全然感じなかったです」と振り返る。

 巨人はその年に日本一を勝ち取った。斎藤は20勝をマーク。カムバック賞を獲得した中尾氏は、復活できた理由に、明確な役割と新しい同僚たちの気配りを挙げる。そして現在の西川にも、自身に似た境遇を見ている。楽天は昨季1番打者が固まらず、チーム盗塁数もリーグ最少だった。西川は移籍会見の際に石井一久監督から声を掛けられたことを加入の決め手に挙げていた。

 今季の楽天は西川に刺激され、チームとしてもリーグ2位の36盗塁を量産中。昨季は年間4盗塁だった山崎剛内野手も、西川と並んでリーグ3位の9盗塁をマークしている。中尾氏は「西川は1番として信頼され、やりがいを感じているでしょう。気持ちが変わればプレーも変わる。この1年がダメだったら終わりになるぐらいの感覚でしょうが、あくまでプレッシャーを楽しみながらやっていると思います」とうなずく。野球ができる喜びに満ちている西川の姿は、楽天にとって最大の補強となっている。

(Full-Count編集部)

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