昨年のシーズン最多安打日本記録達成でメディア出演や取材のオファーが殺到し、例年に比べて忙しいオフを過ごしたという秋山翔吾選手。当然ながら記録に関するコメントを常に求められたが、達成感や充実感を口にすることはほとんどなかった。
「そういうことを感じるのは、引退してからじゃないですかね。引退して、もしこの記録がまだ日本記録として残っていたら、2015年はよくやった年だったと振り返れると思います。でも、現役でやらせてもらっているうちは1年の記録で一喜一憂することはありません。優勝はできなかったわけで、その力になっていないと思えば、まだやるべきことはたくさんあると思っています」
あくまで、2015年にいい成績を残せただけ。よかった年のことばかり考えてそれを再現しようとしても、すべてにおいてその年と同じ感覚に戻れるわけではない。「今年は今年」と次のステップへと切り替えるのは、今回に限らず毎年のことだという。
それでもやはり、昨年の偉業が秋山選手にとって糧になっていることに間違いはない。216本のうち、今年アメリカへと渡った同級生、広島・前田健太投手(現ロサンゼルス・ドジャース)から打ったヒット(6月9日・西武プリンスドーム)は、「特に印象に残る1本だった」と振り返る。
「打った相手、打球方向、バッティング内容、そして試合が決まる1本だったこと、すべてがマッチしていました。彼のことを特別意識しているわけじゃないんですけど、同世代の選手だけでなく球界も背負ってやっている選手ですから、自分もなんとか喰らいついていきたいと思っていたんです」
もう一人、秋山選手を刺激した選手がいる。「彼がいなかったら、去年の記録はなかったかもしれない」とは、同じく同級生の福岡ソフトバンク・柳田悠岐選手のこと。彼の存在も、さらに奮起する材料となった。
「彼がどの分野でも秀でたものを出していく中、何か一つ勝ちたいという思いがありました。同じ土俵に立てるような相手じゃないし、立つつもりもなかったんですけど、お互いにいい数字を出していくにつれて、途中から『やっぱり負けたくない』と思うようになったんです」
2014年、柳田選手は日米野球の舞台でも活躍。秋山選手はその年目立った成績を残せず、その様子をテレビで観ていた。同級生として、同じ外野手として、何か一つでも負けないものが欲しい。選手として何か一つ、柳田選手だけでなく、ほかの選手たちにも勝てる武器が欲しい。216本という日本記録は、そんな気持ちで取り組んだ結果としてもたらされたものだった。
プレー以外でも、2015年から一人親家族の親子を招待する取り組みを始めた。秋山選手が小学6年の頃、野球を教えてくれた父が病気で他界。以降、母が一人で秋山選手を育て、中学、高校、大学と選手生活をサポートしてくれた。この取り組みは入団当時から思い描いていたそうだが、結果的にベストなタイミングで実現することになった。
「僕が子供の頃にも、きっといろんな方々が支援してくださったと思いますし、同じ境遇だったら親近感も湧いてもらえるかなというのもあって、そういう方々を招待できたらいいなと、ずっと思っていました。苦しいことや悔しいことがあっても、僕たちがいいプレーを見せることで楽しい時間に変わったらいいなと。一人親だと親が仕事で忙しくて、子供も学校があってなかなか話す時間が取れないですけど、こういう機会に野球を見ながら、いろんなことを話してもらえたらいいですよね」
今シーズン、西武プリンスドームは最新の人工芝に張り替えられた。一段と明るくなったグラウンドを見ながら、秋山選手は言う。
「球団をはじめ、いろんな方が選手のことを考えて、こうして新しくしてくれました。ファンの方々にも新鮮に感じてもらえるだろうし、その分きっと声援も多くなると思います。そんな球場を作ってくれた思いに応えるためにも、ファンの声援に応えるためにも、恥ずかしくないプレーをしていかなければと身が引き締まりますね」
芝と同じように、秋山選手のマインドも今シーズンに向けて一新されている。進化する姿を、まだまだ楽しませてくれそうだ。
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