さらなる自己成長のために、成功体験にしがみつかず新しい場所へ。 株式会社Creative2 動画メディア編集部マネージャー 遠藤 正紀さん【PLMキャリアインタビューVol.8】

パ・リーグ インサイト

2021.3.22(月) 18:00

株式会社Creative2 動画メディア編集部マネージャー 遠藤 正紀さん(C)PLM
株式会社Creative2 動画メディア編集部マネージャー 遠藤 正紀さん(C)PLM

「スポーツに関わる仕事」と一口に言っても、多種多様だ。今回は、パシフィックリーグマーケティング株式会社が運営するスポーツ業界専門の転職エージェントサービス「PLMキャリア」を通じて転職された方にインタビュー。転職のきっかけや仕事の魅力を紹介していく。

開き直ってつかんだ大ヒット

人生を変えるような大きな成功。これがかえって次の足かせになることもある。特に30代、40代と成功体験を重ねてくれば、自分のスタイルや環境を変えるのは難しくなる。停滞があっても安住の地にあることの方が優先されることもあるだろう。逆に大きな成功体験が新たな挑戦への勇気となることもある。環境が変わっても、いや変わってこそ新たな刺激が得られるのだと。遠藤さんは、まさに後者。東京のキー局でプロデューサーとしてヒットコンテンツを生みだし、高い評価を受けた。44歳という年齢を踏まえれば、このままその「資産」をもって安住してもよかったはずだ。かつて知った場所でまた次の成功を目指せばいい。しかし、遠藤さんの選択は…。新しい道を選んだ経緯と決断について聞いていこう。まずは、現在の新しい挑戦の場について。

「野球、サッカーなどのスポーツ、エンタメといった5つのテキストベースのWEBメディアと連動する動画ビジネス、例えばYouTubeのプラットフォームを使った企画・開発・運営を手掛けています。また、新しいスポーツメディアの立ち上げを進めていて、この統括が主な業務となります」

テレビ業界からWEB業界へ。同じメディアであり、最近では融合が進んでいるとはいえ、かなり違いがあるのではないだろうか。

「もちろんテレビ局時代もWEBサービスの開発などにもかかわっていて、勉強もしていたつもりなのですが、実際に取り組んでみると『ここまで変化が速いのか』と驚き、最初はその変化に追いつけないと思いました。最初は怖かったです。以前『テレビの人間ほど使えない人はいない』と言われたことがあったので、外に行ったら用なしかもしれない、と。未知なものなので怖かったです」

「ただ私はWEBビジネスについては素人でも、前職で大きな番組のプロデューサーをやっていたことで、チームの運営という経験はあります。自分が前面で引っ張るというのではなく、ビジネスに長けている人、WEBシステム系の専門家など、チームの皆さんの力を生かし、最大値にするところを担っていると思います」

異業種ではあるけれど、自分の経験が生かせる。「日々勉強、悪戦苦闘です」という遠藤さんだが、表情は実に明るく感じる。

「半々ですかね。楽しさ半分、不安半分。難しいし、迷いながらではありますが、リーダーは不安を顔に出しちゃいけない仕事なんだな、と改めて感じながらです」

遠藤さんのキャリアを改めて紹介すると、スポーツ用品メーカーから番組制作会社を経て在京キー局へ。入社後はスポーツ局で12年勤務。大規模な中継から小規模の中継まで、数多くのスポーツ中継現場を経験した。そのキャリアの中で一つのハイライトとなったのが、卓球担当として前例のないプロモーション施策を実施し、高視聴率の獲得や卓球ブームの醸成に寄与したことだろう。

「それまでは大好きな野球の担当だったので、本音を言えば、最初は嫌だったんですよ。やりたくなくて逃げたかった。ゴールデンの時間帯での中継ですから会社としてのゴールは2桁の視聴率。でも当時、卓球は福原愛ちゃんの活躍はあっても、観る競技としての人気はまだ高くなかった。実際、私が番組チーフとなった最初の大会中継は数字が取れなかった。でも逆にそこで火が付いて、スイッチが入りました。だったらブームを作ってやろう、と」

チャンスとピンチ、逆境と輝く舞台は紙一重。責任ある仕事だからこそ開き直って挑む。遠藤さんは「このマインドは大学時代に作られたのかもしれない」と振り返る。

「大学時代、アメリカンフットボール部に所属していました。2年生の時に腰のケガで、学生コーチとしてマネジメント側に回りました。そこで、新しい技術や戦術を考えながらチームマネジメントをしていくことの面白さに触れました。うちの大学のチームは、未経験者も多く、強豪チームとは体格も技量も劣る。正攻法だけじゃ勝てない。そこで色々考えました。このプロジェクトでも正攻法じゃ数字が取れないだろう。だったらこれまでやってこなかったことで勝負しようと」

当時、会社はそこまで期待していなかったという。「注目度が低かったのがかえってよかったのでしょうね。改革に取り組みやすい環境でした」と遠藤さんは振り返るが、現状の冷静な分析と、それを打破しようとする本気の提案があったからこそだろう。遠藤さんが狙った通りのスーパースターたちの誕生が後押しとなり、視聴率は2桁を超え、それだけではなく、卓球という競技が日本のかけがえのないお家芸にまで成長する、その助けとなったのだ。

安住の地を作り、離れ、また作る

局にとっても本人にとってもこれだけの大きな成功。また次の新たな種を育てるプロジェクトへ、となるはずだったが、思いがけないことが起こる。

「私の家族の環境が変わり、これまでと同じような働き方が難しくなりました」

転職の理由は様々で、決してポジティブなものばかりではない。社風や人間関係、業務などが自分とマッチしていないという理由もあるだろう。逆に遠藤さんのケースは、今いる会社、環境で十分活躍でき、また会社側も自分も次を見据えている良い状況の中で訪れた出来事だった。

「でも、辞めなければいけないかもとなったときに、恵まれた環境に安穏としている自分がいることに気付きました。いいお給料をいただいて、同じ場所にこのまま長く居続けてもいいのか。入社するときはとりあえず10年頑張ろうと思っていたのが、気が付けば12年。そろそろ新しい世界に進まないと自分が終わってしまうかも。大きな決断というより、そんな思いで動いたという感じです」

学生時代からスポーツにかかわって生きていきたいと考えていたため、在京キー局でスポーツ番組にかかわるということで、当時はキャリアのゴールとも考えていた。しかし節目と考えていた10年を経過し、そのタイミングで家庭環境の変化が重なった。40代となって同じ悩みや環境を持つ方もいるだろう。なんともいえない不安感、それを振り切るのは自分の可能性を信じること、そして新しい場所で自分が輝けるということ、だろうか。

「ここでは、日々好きなスポーツに浸かっています。特に大好きな野球に。私は恵まれています。WEBの世界に飛び込むこと、そして将来の自分に対しても怖さがありましたが、怖さがなくなったら終わってしまうとも思うんです。新しいプロジェクトも、だからこそ面白い」

著名な野球選手、世界で活躍してきたサッカー選手といった一流のプレイヤーも身近にいて、ともに新しい価値づくりに挑む。テレビ局時代も、テレビ局だから安住の地だったのではなく、挑戦の日々の中で刺激的な安住の地を作ってきた。規模の大小ではない。結局挑むことは一緒。

「ここでも自分が原動力となって、何か、スポーツのブームを作ってみたいですね」

今までのテレビのやり方ではないアイデアで生み出した成果。その経験をWEBの世界で生かすこと。「不安と楽しさ半々」の日々は、次第に刺激的な日々に変わっていく。最後に、この仕事に取り組むうえで大切だと感じていること。

「何事も楽しめること。一つのものをこだわって好きすぎるというより、新しいことにも関心があって、やってみようと思えること。テレビ時代と違うのは、視聴者の方からビビッドに反応が返ってくる。これを受け止めなければ…というよりこれも新しい形で面白いと思うんです。正直、WEB業界で何が当たるのか、どんな方法が正しいのか、わからない。だから楽しみながら、柔軟に取り組んでいきたいと思います」


♢PLMキャリアの詳細はこちらからご覧いただけます。


文・岩瀬大二

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