ファンに愛された川端崇義選手の6年間。次は育成の場で「想い全て出し切れ」。

パ・リーグ インサイト

2017.12.25(月) 00:00

11月26日、京セラドーム大阪で行われた「Bsファンフェスタ2017」で、背番号「46」が宙に舞った。戦力外通告を受け、今季限りの引退が決まっていた川端崇義外野手だ。わずか6年のプロ生活。まだ32歳。現役に未練がなかったわけではないという。しかし、胴上げされる川端選手の顔には満面の笑みが浮かんでいた。

東海大相模高校、国際武道大学、JR東日本を経て、川端選手がプロの世界に飛び込んだのは26歳。2011年ドラフトで8位指名を受け、オリックスに入団した。当時チームの主力を張っていた坂口智隆選手(現東京ヤクルト)や大引啓次選手(同)は同級生。いわゆる遅咲きの「オールドルーキー」だった。

ファンから愛される川端選手だが、その人気に火が着いたのは、ルーキーイヤーの2012年5月22日に阪神戦で放った一発からではないだろうか。0対0で迎えた6回裏1死満塁の場面。川端選手は阪神のメッセンジャー投手の変化球を完璧に捉えて、左翼席に叩き込む。プロ初本塁打が満塁弾となるのは、オリックスでは米田哲也氏以来56年ぶりのことだった。最終的に125試合に出場して、球団史上3人目となる新人100安打もマーク。不調に喘ぎ、最下位に沈んだチームの中で奮闘し、ファンに明るい話題をもたらしてくれた。

しかし、大きな期待とともに迎えた2年目。川端選手は4月29日の北海道日ハム戦、5月9日の福岡ソフトバンク戦と、短期間で2度の頭部死球を受ける。以降、深刻な打撃不振に陥り、巧みなバットコントロールは鳴りを潜めた。真面目な性格からか、その不振の原因に危険球を挙げることは避けていたが、気持ちと裏腹に結果は出ず、試行錯誤が続く。

2016年には自身初のサヨナラ打を放つなど、随所で持ち前の勝負強さを発揮していたが、怪我や故障にも泣かされて、年々出場機会は減っていった。今季はわずか18試合の出場に終わり、10月、球団から戦力外通告を受ける。ただ、すぐに育成コーチ就任を打診された。川端選手の人格や普段の練習態度から、指導者の適性があるとみなされたのだ。

決して、華々しい経歴を持つ選手ではなかった。苦しんだ時期の方が長いプロ生活だったのかもしれない。それでも、「46」のユニホームを選ぶファンは多かった。川端選手は、来季からは育成コーチという肩書きで、「96」のユニホームに袖を通す。6年間の得難い体験とその人望の厚さで、チームの未来を担う選手を育成してくれることだろう。

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