台湾球界挑戦2年目の左腕にとって、野球人生は波乱と苦難の連続だった
埼玉西武と台湾統一ライオンズの交流試合が、2月20日(水)と21日(木)の2日間にわたって開催される。その統一ライオンズでは、現在ひとりの日本人投手が大きな夢に向かって奮闘している。2019年に台湾球界挑戦2年目を迎える快速左腕、知念広弥投手だ。
知念投手は1989年生まれの、いわゆる「菅野世代」のひとり。おかやま山陽高校、金沢学院大学を経て、九州三菱自動車で4年間プレーした。当時は朝に練習して昼から社業に入るという一般的な社会人野球チームとは真逆の形態で、野球よりも社業が優先される環境だった。営業職ゆえに終業も遅くなり、「野球を考える時間だったり、体を休める時間がどうしても少なかった」という。
「1個下ですけど、年下というイメージがあまりない。目標であり、友達みたいな感じですね」と語った有吉優樹投手(現・千葉ロッテ)の存在は、「取り組む姿勢もよく、いい投手だと思っていました。一緒にやれば同じようにレベルを上げられるかなと思い、よく一緒に練習しました」と語った知念投手にとっても刺激となったが、最終的に「僕にとって、野球で結果を出すには苦しい状況だった」と感じ、プロ野球選手になるという夢を成就させるために独立リーグ行きを決断した。
しかし、「たくさん時間があるのが当たり前のことじゃないとわかって、一生懸命になれる。『あの時はこんなに時間がなかったけど、今はあるんだから、やれよ』っていうのを自分に言い聞かせられるので、いい経験だったなと思います」と、厳しい環境に身を置いたことは知念投手にとって貴重な糧にもなったそうだ。
NPBに近づけている実感がありながら一度は引退……それでも夢を諦めなかった
ベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックスBCでは「(野球に)かけられる時間がかなり増えたので、一気に成長できたと思います」と本人が語る通り、退社の直前には140km程度に落ちていた球速が、わずか1年で150kmまで戻ったという。「投球の感覚も全然違った」という確かな手応えを感じていた知念投手の元には実際にプロ球団からの調査書が届きだし、スカウトも来るようになったという。
しかし、「スカウトが来ても、『いいね、何歳?』ってなった時に『25です、26です』ってなった時に『うわあ、マジか』っていうような感じで……」と、社会人を経由したがゆえの年齢面がネックとなった。プロにも認められる実力を持ち、NPB入りに近づけていたという実感もありながらドラフト指名の声がかかることはなく、2017年に28歳で現役引退を表明することとなった。
一度はユニフォームを脱いだ知念投手だったが、飽くなきハングリー精神を持つ左腕はプロになるという夢を追い求め続け、2018年3月に台湾に渡って自費で統一ライオンズの入団テストを受けることに。そこで左腕から繰り出される143km/hの速球と多彩な変化球が評価され、見事に契約を勝ち取った。
NPBでのプレー経験を持たないという異色の経歴ながら台湾球界で入団テストを受験できた背景には、現役時代に台湾球界でプレーした経験を持つ新潟アルビレックスBC時代の監督・加藤博人氏の紹介があったという。大きく曲がるカーブを武器にヤクルトの日本一にも貢献した好投手だった加藤氏は、「能力的にはいいものを持っているから、このままでは惜しい」と、挑戦を模索する愛弟子の背中を押してくれたという。
異国の地で「助っ人」として奮闘し、念願のプロ初登板を果たした2018年
かくして、異国の地で「プロ野球選手」としての第一歩を踏み出した知念投手は、一軍に登録できる外国籍選手3人に次ぐ「第4の助っ人」という立場ながら、二軍で主に先発として18試合に登板して5勝1敗、防御率3.10という数字を残し、球速も152km/hを記録するまでに上がっていた。その活躍が認められて8月に一軍昇格を勝ち取ったが、ここでも「3回投げるチャンスがあったが、2回潰れてしまった」という不運に見舞われてしまう。
まず、中継ぎとして登板する直前まで行った試合が1つあったものの、登板直前に雨で試合が中止となって初登板もお預けに。だが、かなりの緊張に襲われたというこの試合の経験は、8月22日に先発としてプロ初登板のマウンドを踏んだ際に生かされた。ここでは緊張することもなく、4回まで犠牲フライの1点のみに抑える好投を演じたのだ。
続く5回も無失点のまま2アウトまで行き、アウトコースのスライダーを投じて「打ち取った感覚があった」という。3アウト目を確信してベンチに帰っていったものの、打球は予想以上に飛んでフェンスを直撃。「結果的に、そこでちょっと気持ちが乱れたかもしれません」と、そこから連打を浴びて6失点。4回2/3を7失点という成績で、敗戦投手となってしまった。
初登板は残念な結果に終わってしまったものの、登板機会はもう1度得られる予定となっていたため、知念投手はその後も調整を続けていた。しかし、またしても雨に祟られ、登板が予定されていた試合は中止に。結局、一軍での登板は先述の1試合のみとなり、8月31日には球団から自由契約が通告されてしまう。
練習に臨む真摯な姿勢と人柄が、異例の待遇での契約延長をもたらした
しかし、練習に臨む姿勢やハングリー精神が二軍の若手選手たちに好影響を与えていると評されるなど首脳陣からの評価は高く、契約解除と同時に秋季と春季の2度のキャンプにおけるチームへの帯同も認められる形となった。その後は台湾のアマチュアチームで実戦経験を積む選択肢もあったが、その時点で既に知念投手は来季に向けた確かなビジョンを持っていた。
「体力面についても言われていましたし、課題が明確だったので、実戦を積むよりも今出ている課題を修正したかったんです。翌シーズンに向けて、とにかくトレーニングとブルペンの量を増やしたかったので、アマチュアの話は断りました」
球団側もその意図を汲み取り、戦力外となった外国籍の選手をキャンプまで有給でチームに帯同させるという、知念投手自身も「普通はありえない」という異例の待遇で迎えた。これも知念投手の姿勢が周囲に良い影響を与えていたからこそだが、本人は「僕としては普通のことしかやっていないので」と、あくまで自然体だった。「台湾人の若手も質問しに来てくれたので、そこにはしっかり答えたつもりです」という面倒見の良さも含めた知念投手の人柄が、契約延長を手繰り寄せたのは間違いないところだろう。
今オフには台湾で「練習方法を日本の時とは少し変えた」ことや、二軍での球数制限の影響もあって課題となっていた体力面の改善を目指すべく、イチロー選手も取り入れている”初動負荷理論”に取り組んでいる。「効率の良い体の動かし方をして、何球投げても問題ないような体を目指したかった」と語る知念投手にとって、この取り組みも課題に照らし合わせた結果だ。
「30歳でドラフト指名となれば、夢があるじゃないですか」
来季の大いなる飛躍を目指している知念投手に対して、最後に今季の目標を聞いてみた。
「僕は、統一ライオンズさんに猶予をもらったと思ってるんですよ。なので、絶対に一軍で活躍したいし、活躍すればもしかしたら(NPBが)見えてくるかもしれないので。今年はワンステップ、ツーステップ上がれるチャンスがあるので、そこを目指して頑張りたいですね。一軍で活躍、NPB指名。30歳で指名となれば、夢があるじゃないですか」
諦めがいいほうか、それとも悪いほうかと問うと、知念投手は「悪いほうだと思いますよ」と笑った。残念ながら今回の交流試合のメンバーに知念投手の名前はなかったが、波乱万丈の野球人生を経て異国の地で挑戦を続ける152km/h左腕が、台湾球界で名を上げ、そしてNPBのマウンドでその勇姿を見せてくれる日を心待ちにしたい。
記事提供: