【西武】内海哲也投手兼任コーチ引退会見 全一問一答「ライバルは自分自身…自分の気持ちに負けないように常に戦っていた」

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2022.9.19(月) 10:44

引退記者会見を終え、引き揚げる内海哲也(カメラ・橋口 真)

 今季限りでの引退を表明している西武・内海哲也投手兼任コーチが19日、埼玉・所沢市の球団施設で引退会見に臨んだ。以下は会見のあいさつと一問一答。

 おはようございます。朝早くからお集まりいただき、誠にありがとうございます。私事ですが、今シーズンを最後に現役を引退することを決めました。現役生活19年間いろんな事がありましたが、今はやりきった思いでいっぱいです。本日、引退のセレモニーをさせていただきますので、皆さんの前でお話をさせてもらえればいいかなと思っています。報道陣の方々、若い頃からいろいろ取り上げて、ありがとうございました。本日はよろしくお願いいたします。

―今の心境

 ついにこの時が来たかという感じです。

―いつどんなタイミングで引退を決意したか

 今シーズンが始まってから、ずっとどこかで辞めないといけないなという気持ちがありました。それでも1軍に呼んでいたけたり、ファームの方でも調子もよかったり。そういう状況もあったので、迷ったのですけど。コーチ兼任でやらせていただき、まだ若い選手たちが出てきて、1軍の舞台で活躍する姿を見たいなという気持ちにもなりました。それで僕がいたら、足かせになって、邪魔をしかねないなというのもあり、引き際としては一番いいのではないかと思って、決断しました。

―一番の理由は

 ここ数年、1軍の登板機会も少なくなってきている。たまにいくと、昔みたいに絶対抑えられる自信が少しずつなくなってきた。そういう気持ちで1軍のマウンドに立っても、自分自身、やっぱり違うなと。今年、特に思った。それで決断しました。

―引退を決めて一番最初に伝えたのは

 家族です。

―家族にはどう伝えたか

 薄々は家族も気がついてみたいで。言った時は泣いてはいましたけど、すぐ受け入れてくれて。「お疲れ様」と言っていただきました。

―家族の存在

 家族がいなかったら、ここまでやれなかったと思う。支えでもあり、活力でもある。全てでした。

―19年間で特に思い浮かぶシーン

 やっぱりジャイアンツ時代のことをよく思い出すのですけど。優勝したり、最多勝を取れたり、叱咤されたり。いろんな思い出があります。ライオンズでも成績は残せなかったですけど、受け入れていただき、ライオンズの一員になれたのはすごく思い出に残っています。

―巨人15年、西武4年を過ごした

 ジャイアンツでは堀内監督にどうしようもないピッチングをしても、使っていただいた。1軍で活躍する土台をつくっていただいた。原監督にもエースと言っていただけるような使い方、大事な場面を任せていただきました。最後は由伸さんと、辻監督の時は自分が思うような結果を出せなくて、本当に悔しい思いしかないですけど、感謝をしてます。

―多くの監督のもとでプレー

そうですね。感謝しかないですね。

―ベストピッチ

 はじめに出てくるのは、長嶋さんと松井さんの国民栄誉賞授与式での東京ドームの登板が一番思い出される。あの時は絶対に負けてはいけない試合だったので、緊張したのは覚えています。

―最多勝の時に涙

 そうですね。正直、入団した時から150キロの真っすぐを投げるわけでもないし、千賀投手のようなフォークがあるわけない。本当に普通のピッチャーだったと思うのですけど、いろんな方に教えてもらいながら、少しずつ力をつけていった。それが実った結果の最多勝。あの時は感無量でした。最後の17勝、18勝はサヨナラ勝ちで野手の方に打ってもらって、支えてもらった勝利。あの時は本当にうれしかったです。

―自身のピッチングスタイルについて

 決して速くない真っすぐでしたけど、本格派左腕と自分に言い聞かせて、真っすぐを生かせるような練習をしてきたつもり。捕っていただいた阿部さんがうまくリードしてくださった。そういうのを積み重ねて、投球術、バッターを抑える術をちょっとずつ学んできた。

―西武ではどんな思いで過ごしたか

 入団させていただいた時は、第2の野球人生ということで、活躍する気満々で入団したのですけど、けがもあり、不甲斐ない。ライオンズファンの方には申し訳ない思いでいっぱい。球団の方の期待に答えられず、非常に申し訳ない気持ちでいっぱい。カーミニークで若い選手たちとやって、僕のやってきたことを伝えられたと思いますし、これからの選手たちが伸びるように、微力ですが、やってきたつもりです。

―内海投手といえば、球界屈指の人格者といいます。ご自身はどんな思いでファン、チームメートと接したか

 なるべくフランクにといいますか、入った時は松坂さんが来られて最年長ではなくなりましたけど、僕が入った時は最年長でとっつきにくいというか、どういうふうに話しかけたらいいかわからないというのが一番僕自身もよくないし、早く溶け込むためにはフランクにどんどん溶け込んでいって、若い選手たちと一緒にやれればいいなと思っていました。

―ライオンズというチームで野球人生終えられますが

 感謝しかないですね。4年もみていただいたという気持ちしかないので、本当だったらもっと早くユニホームを脱ぎなさいと言われてもおかしくない状況だったと思うんですけれど、自分が決めるまで…(ここで言葉が詰まる)現役を、現役をやらせていただいたので、本当に感謝しかないです。

―19年間を終えるわけですが、こだわってきたものは

 こだわりは誰よりも早く来て、誰よりも練習するということ。実際できていたかどうかはわからないですけど、それは自分の中では自己満足の世界ですけど、やってきたつもりです。ハイ。

―あしたからどのように過ごしていきたいですか

 最後までやってくれと言われているので、あしたからもライオンズのことを考えて、今シーズン終わるまでやりきりたいと思います。

 ―今後のことはどのように

 とりあえずゆっくり家族と過ごして、今後のことも考えていきたいと思います。

―19年間でプロで135勝積み上げられてきましたが、この成績に関してはどのようにみているか

 正直もっと勝ちたい、200勝目指していたので全然足りないと思っていますけど、でもよくやったなと思っています

―今季、投手陣の防御率が改善されている

 僕なんか全然御役に立てているとは思いませんけど、1年目2年目のい子たちをしっかり育てたいな、アドバイスしてあげたいなと今年1年やってきたので、まだまだ実るのはこの先だと思うのですけど、応援していきたいと思います。

―このあと投げられますが、どういった思いで投げるか

 体の状態はすごくいいので、思い切って今まで通り投げたいなと思うのと、チーム状況がこういう状況なので、迷惑をかけないようにしっかり投げたいなと思っています。

―キャッチボールを丁寧にやっている理由は

 当たり前のことだと僕は思っているんですけど、投げることが仕事なので、キャッチボールからしっかり自分のフォームを確認しながら1球1球丁寧にやるというのが当たり前のことだと思って毎日やっていたので、ピッチングになってからちゃんとやるのではなくて、キャッチボールの1球目から自分のフォームを確認しながら毎日やってきました。

―野球やソフトボールをやっている少年少女へのアドバイスを

 野球人口が減ってきているという話なので、とにかく楽しんでやっていただければといいと思います。

―引退を決められてかけられた言葉で心に残っている言葉は

 いろんな方に報告したんですけど、本当にお疲れ様とねぎらってくれて、印象に残った言葉は、ここではナイショにしておきます。みんなねぎらってくれました。

―心残りがあるとすれば

 心残りはライオンズで活躍できなかったこと。それに尽きます。

―後輩に伝えたいことは

 悔いのないように、野球人生はそんなに長くないので、悔いのないようにやりきったと思えるような、生活を毎日やってほしいなと思いますし、1軍で活躍すると本当に世界は変わると思うので、そこを目指して妥協せずに頑張ってほしいなと思います。

―きのうの夜はどう過ごしましたか

 家族と過ごしたのですが、いつも通り。きょう花束を子どもたちが渡してくれるのでその打ち合わせとかいろいろ。ちゃんとできるか僕より不安ですけど、そういう打ち合わせとか。寝付きはよかったですけど、寝たような、寝ないような、何回も起きてきょうのスピーチを繰り返しました。

―続けられた原動力

 根本的には負けず嫌いなので、どんだけすごいピッチャーが入ってきても何とかして勝ってやろうという気持ちでずっとやってきましたし、それがうまいこと19年間生きたので、それが原動力かもしれないですね。

―19年間で誇れること

 自分を褒めてあげたいのは継続できたこと。朝、誰よりも早く来て、とさっき言いましたけど、早く来て、誰よりも早く練習というのは、どれだけ体がしんどくても絶対続けようと思ってやってきたことなのでそれは誇れます。

―これから伝えてきたいこと

 僕はやってきたことでしか教えられないので、僕が経験したことをしっかり後輩のみんなに伝えていけたらいいなと思いますし、僕自身もこれから野球のことをもっと勉強しないといけないと思っているので、勉強したいと思います。

―印象的な打者

 僕が第一線でやっている時は中日ドラゴンズが強い時期で、ほとんどのバッターを苦手としていたんですけど、特に和田さんとか谷繁さんとか、ピッチャーで言うと吉見投手とか、本当に今思い出すとなつかしくて、あんなこともあったなって思い出すんですけど、当時は本当に嫌でした。

―特に印象的な場面

 やっぱりいい場面で絶対打たれたなという感じです。

―リーグ終盤の苦しい局面で必要なもの

 まあ、チーム一丸になるというのが一番効果があると思っていて、ジャイアンツでやっていた時はそういうふうにやっていたなと思います。

―投手陣のリーダーシップを取っていた

 分からないですね。1軍だとやっぱり結果残さないといけないし、残したいという気持ちが強すぎて、こうなりすぎるとこがあると思うので、そういうのをちょっと一歩引いた方がいいんじゃないかという話とか、ご飯一緒に食べて仲をもっと深くするとか、そういう感じのことはやりましたけど。

―入団時?はぴりぴり

 大先輩方がいっぱいいたんで。

―プロ野球人生で一番のライバル

 うーん、そうですね…。自分自身だろうし、自分自身、はい。自分の気持ちに負けないように常に戦っていたんだと思います。

―投打の壁取り払ったという話も聞く

 そうですね、投手と野手というのは、正直全く、同じ野球ですけど練習の場所も違えばやっていることも全く違うので、なかなか交わらない部分ってあったと思うんですけど、そういうのはチームとして勝つためにはそういうのは取っ払った方がいいんじゃないかなと思ってコミュニケーションをしっかり取ったりやっていました。

―コーチとしてやりがい感じた場面

 若い投手、僕がちょっとアドバイスしたことですごく良くなったり、喜んでくれたり、そういった時にすごくやりがいがありましたし、気持ちいいなと思いました。

―特にこの選手というのは

 いや、あの、まだそこまで。ほとんど選手としてやらせていただいたり、たまにコーチをという感じだったので、そこまで毎日見ていたというわけじゃないので、これからという感じですかね。

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