第100回全国高等学校野球選手権記念大会が開幕した。今年も甲子園で高校野球の頂点を巡り、激闘が繰り広げられている。夢見た舞台へ辿り着くために、球児たちはどれだけの鍛錬、挑戦、葛藤を積み重ねているのだろうか。現役プロ野球選手の高校時代を振り返る連載第3回は、半世紀以上の時を経て古豪を聖地に導いた金子千尋投手(現オリックス)。当代きっての変化球の使い手は、その礎を高校で築いた。プロでは最多勝、最多奪三振、最優秀防御率のタイトルを獲得し、沢村賞も受賞。投手として得られるものはほとんど得たが、立ったことのない頂点への渇望が、その右腕を振るわせる。
公立高校に進学して魔球と邂逅
金子千尋投手が長野商業高校時代、監督を務めていた山寺昭徳氏を訪ねたことがある。そこで山寺氏が真っ先に口にした2つの金子千尋投手評は、オリックスのエースとして活躍する今の姿と見事に結びつくものだった。1つは金子千尋投手が長野北シニアのエースだった中学3年時の投球を目にした時の印象だ。
「ウチの室内練習場を中学のチームに貸すことがあって、その日、たまたま金子が投げているのを見たんです。中学3年の秋の終わり頃。金子について何の知識もなかったけど窓越しに見た真っすぐがまったく落ちない。ひょろっとした体なのになんと回転の効いたボールを投げるんか、と驚いたのが最初です」
ただ、金子千尋投手はこの頃、ある私学へ興味を持っていた。また、長野商業高校は公立のため積極的な生徒勧誘もできない。しかし、春になるとその姿は、戦前に春夏甲子園出場9度、創立100周年を前に復活の機運を高めつつあった古豪のグラウンドにあった。山寺氏は改めてその素質の高さにほれこみながら、一方で高校球児らしからぬ風貌、雰囲気が強く記憶に残ったとも言った。2つ...