3月1日、札幌ドーム。北海道日本ハムとLamigoの国際交流試合の開始前に、元・北海道日本ハムの多田野数人氏のNPB引退セレモニーが催された。
その野球人生は、まさに波乱万丈そのものだった
八千代松陰高校でエースとして活躍し、決して強豪ではなかった同校を甲子園まで導いた多田野氏は、進学した立教大学でも出色の投球を見せる。早稲田大学の和田投手(現・福岡ソフトバンク)とよきライバル関係を築き、「右の多田野」「左の和田」と並び称された。
大学卒業後は米球界への挑戦を選択し、2004年にインディアンスからメジャーに昇格して初勝利も飾っている。しかしその後はMLBにおいては満足のいく出場機会を得られず。2007年ドラフトで北海道日本ハムから1位指名を受け、日本球界入りを果たすことになる。
“逆輸入右腕”として注目を集めた北海道日本ハム時代
多田野氏は、NPB1年目の2008年に19試合7勝7敗、防御率4.78という成績を残すと、翌年の7月10日の千葉ロッテ戦では、9回2死まで相手打線を無安打に抑える快投を披露。結果的にこの年は5勝を記録し、チームのリーグ優勝にも貢献している。
2012年には先発ローテーションの一角に食い込み、2度目のリーグ優勝を経験。巨人との日本シリーズでは史上初となる危険球退場処分を受けてしまったものの、キャリアハイと呼べるシーズン...