
オリックスの平野佳寿投手(42)が、25日のソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で引退セレモニーを行った。日本ハム・金子千尋投手コーディネーター(42)は、特別な気持ちで平野を見てきた。同じ1983年度の世代。2004年のドラフト自由獲得枠でオリックスに入団し、1年後に出会った。絶対的なエースとクローザー。14年には沢村賞やパ・リーグMVPに輝きながら、ソフトバンクと勝率2厘差で優勝に届かなかった。現在はライバル球団で投手陣を指導する立場となっても、友達であり、仲間。ありったけの思いと感謝を伝えた。
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■5月の再会で「覚悟」
平野くんとチームメートでいられたことは、僕の誇りです。本当にそう思っています。背中で語ることも、言葉で引っ張ることもできる人間。後輩なら間違いなくついていくし、同級生であっても、ついていきたくなります。
5月にオリックスのファームと試合があり、大阪の舞洲で再会しました。平野くんが言うには、なかなか状態が上がらなかったり、痛いところもあったりで…。そこで予測というか、覚悟はしていました。そろそろ引退が近いのかな、と。でも、話の最後には「足が痛いけど『代走の準備をしておいて』と言われた」って笑っていましたけど…。
平野くんといえば、真っすぐとフォークです。2球種で打者を抑えるなんて、僕には絶対に無理なこと。見ていて、うらやましかったです。最近はカットボールやツーシームを投げていましたけど、それも「まだまだ現役をやりたい」という証拠。僕は39歳で引退しましたから、そういう姿もポジティブな気持ちで見ていました。
僕が2004年のドラフトで入団し、平野くんは1年後でした。すごい同級生が入ってきたな…というのが第一印象です。確かに細身でしたけど、ついているところに筋肉がしっかりとついていました。特に、ふくらはぎが大きくて。野球選手にとってふくらはぎは大事だとは聞いていたので、偉大な投手になることは想像できました。
平野くんとは不思議な縁があります。高校2年のセンバツで鳥羽高校と対戦しました。彼は試合に出ていなかったのに、プロになってから覚えていてくれました。僕がトヨタ自動車で社会人2年目の時も、オープン戦の相手が京産大でした。トヨタのグラウンドで投げ合った記憶があります。そんな思い出を、2人で話したこともあります。
少しですが、僕にも抑えの経験があります。抑えの大変さを知っています。チームの勝ちを背負う9回のマウンド。先発投手の勝ちを消してしまうと、本当に申し訳ない気持ちになります。立ち直れるかな…という日もありました。抑えをやるまでは「僕が打たれたわけじゃない」と思うこともありました。正直、深刻に捉えていなかったんです。でも、野球は相手があるスポーツです。自分が100%の球を投げても、相手が上回ることもあります。わざと打たれる人なんて絶対にいません。先発に戻り、その思いをかみしめて投げるようになりました。
■疑いようがないリリーフ陣
当時は平野くん、岸田さん、比嘉さん、佐藤達也といった投手が後ろに控えてくれていました。みんなが結果を残していましたし、結果を残すために必死に練習をしている姿を見ていました。僕はいつも完投するつもりでしたけど、当時のリリーフ陣は別でした。
交代と言われても、何とも思いませんでした。彼らでなければ「いや、僕が投げます」と志願したかもしれません。先発としての意志や欲を超える安心、信頼がありました。「何で打たれたんだ」と思うことなんて、一度もありませんでした。疑いようがないリリーフ陣の中心にはいつも、平野くんがいました。
打たれたら悔しいですし、誰とも話したくない時だってあります。平野くんの本心は分からないですけど、ピリピリとした姿は見たことがなかったです。ロッカーでも、周りに気をつかわせないような振る舞いができるんです。メンタルが強いし、切り替えも上手。何も考えず「次、次」という思考ではありません。打たれたら仕方ない、と思える強さを持っていました。
友達であり、仲間です。家族ぐるみの付き合いもしています。いろんな感じ方もできて、後輩っぽい時、先輩のように思える時もあります。僕がファイターズにお世話になってからは正直、複雑でした。チームには勝ってほしいけど、平野くんには打たれてほしくない。打たれている姿が想像できない、という気持ちがあったのかもしれません。
現役最後の姿を、しっかりと記憶にとどめたいと思います。将来はきっと、監督をする日が訪れるでしょう。平野くんしか経験していないものを選手たちに伝え、平野くんにしかなれない指導者を目指してほしいです。僕の心残りは2014年、ソフトバンクとわずかな差で優勝できなかったこと。またプロ野球選手になってもチームメートでいたいし、やっぱり優勝したいですね…。
◆金子 千尋(かねこ・ちひろ)1983年11月8日、新潟・三条市生まれ。42歳。長野商2年時の2000年春にセンバツ出場。トヨタ自動車から04年ドラフト自由獲得枠でオリックス入団。10年に17勝で最多勝、13年に200奪三振で最多奪三振。14年は最多勝(16勝)と最優秀防御率(1・98)の2冠で、沢村賞とリーグMVP。19年に日本ハムへ移籍し、22年限りで現役引退。通算387試合で130勝94敗5セーブ、8ホールド、防御率3・08。同年オフに日本ハムの特命コーチに就任し、25年11月からは投手コーディネーター。180センチ、77キロ。右投左打。