
オリックス・平野佳寿投手兼投手コーチ(42)が、今季限りで現役を引退することが8日、分かった。すでに意思を伝え、球団側も功労者の決断を尊重。最終的に了承され、きょう9日に発表する予定だ。
23年にオリックスの選手として初の名球会入りを果たし、日米通算250セーブ200ホールドは前人未到の大記録。唯一無二の歩みをたどるレジェンド守護神がオリックスで18年、通算21年間のプロ野球生活に区切りをつける。スポーツ報知では、幼少からの歩みを振り返った。
▼1984年3月8日 京都府に生まれる
▼92年 少年野球チーム「小倉リトルズ」で軟式野球を始める。捕手兼内野手としてプレー
▼96年 京都・宇治市立北宇治中学野球部で投手に転向
▼00年3月 京都・鳥羽でセンバツに出場し、準決勝の東海大相模戦で救援登板
▼02年 京産大に進学。4年間でリーグ戦56試合に登板し、36勝11敗、防御率1・33、404奪三振。MVP2度
▼05年11月 大学・社会人ドラフト希望枠でオリックスに入団
▼06年3月26日 開幕2戦目の西武戦(インボイス西武D=現ベルーナD)に8回から救援としてプロ初登板。代打・高木浩に右前安打を浴びて2球で降板
▼同30日 楽天戦(フルスタ宮城=現楽天モバイル)でプロ初先発。6回無失点でプロ初勝利
▼同4月6日 ロッテ戦(京セラD)でプロ初完封
▼08年3月27日 神戸市内の病院で右肘の遊離軟骨除去手術。シーズンの1軍登板なし
▼09年 開幕ローテ入りしたが、逆流性食道炎を発症するなど苦しみ、3勝止まり
▼10年 岡田彰布新監督の方針でリリーフ転向
▼11年 当時パ・リーグ新記録の43ホールド、49ホールドポイントを挙げ、最優秀中継ぎのタイトルを獲得
▼12年1月 一般女性と結婚し挙式
▼同年 シーズン終盤に抑えに転向
▼13年 リーグ2位の31セーブ
▼14年10月7日 楽天戦(コボスタ=現楽天モバイルパーク)で当時パ・リーグ新記録の40セーブを達成。最多セーブのタイトルを獲得
▼同11月7日 国内FA権を行使せず、3年契約で残留を表明
▼15年 救援失敗が相次ぎ、中継ぎ転向、2軍落ちも経験
▼16年 シーズン途中からクローザーに復帰し、リーグ2位の31セーブ
▼17年3月 第4回WBCに出場。チーム最多タイの6試合に登板
▼同8月27日 西武戦(メットライフD=現ベルーナD)で通算150セーブを達成
▼同11月7日 海外FA権を行使し、米大リーグ挑戦を表明。「年齢も年齢。行くなら最後(のチャンス)だと思った」と決意
▼同12月22日 2年総額600万ドル(当時のレートで6億8000万円)でダイヤモンドバックス入りが正式決定。「最初にオファーを頂いた」と感謝
▼18年3月29日 ロッキーズ戦(チェイス・フィールド)で7回からメジャー初登板。1/3回を1安打無失点。勝利に貢献し「勝った後の雰囲気を味わえて良かった」
▼同年 5~7月に26試合連続無失点を記録。後にクローザー転向
▼19年5月29日 ロッキーズ戦(クアーズフィールド)でメジャー通算100試合登板を達成
▼20年1月30日 単年契約でマリナーズと合意。背番号6
▼同年 コロナ禍でシーズン開始が遅れ、13試合の登板で4セーブ
▼21年2月6日 オリックス復帰を発表。年俸1億5000万円プラス出来高の1年契約。背番号も愛着ある16
▼同3月26日 西武戦(メットライフD=現ベルーナD)で日米通算700試合登板を達成
▼同4月8日 ロッテ戦(ZOZO)でNPBでは1286日ぶりのセーブを挙げる
▼同11月25日 ヤクルトとの日本シリーズ第5戦(東京D)でシリーズ初セーブ
▼22年4月26日 日本ハム戦(東京D)で日米通算200セーブを達成
▼同6月2日 DeNA戦(横浜)でNPB通算200セーブを達成
▼同9月13日 楽天戦(楽天生命=現楽天モバイル)でNPB通算150ホールドを達成
▼同10月2日 楽天戦(楽天生命)に勝利し、リーグ連覇
▼同10月30日 自身初の日本一を経験
▼同12月7日 球団と2年契約を締結。「(登板)試合数にこだわりたい」
▼23年5月14日 ソフトバンク戦(京セラD)で史上初の日米通算200セーブ&200ホールドを達成
▼同10月2日 日本ハム戦(京セラD)で史上4人目の日米通算250セーブを達成。39歳6か月での到達は最年長。名球会入りの条件を満たした
▼25年4月3日 ロッテ戦(ZOZO)で史上4人目のNPB通算250セーブを達成。「みんなが一緒になってつくったもの。皆さんに『ありがとうございます』と言いたい」
▼同10月 プロ21年目は投手コーチ兼任となることが決定
▼26年3月29日 楽天戦(京セラD)でプロ野球160人目の通算1000奪三振を達成。通算250セーブ達成者のなかでは史上初の快挙