
ロッテの捕手として活躍した袴田英利(はかまだ・ひでとし)さんが、2月上旬に亡くなっていたことが31日、分かった。69歳だった。静岡自動車工(現静岡北)時代の73年にドラフト3位でロッテから指名されたが拒否して法大入り。同期の江川卓とバッテリーを組み、4年間で東京六大学で5度の優勝と法大の黄金時代を築いた。77年にドラフト1位で再びロッテから指名され入団。82年に96試合に出場してからレギュラーに定着した。
マサカリ投法が代名詞で、右ひじ手術から復活した村田兆治(故人)の相棒として名をはせた。豪快な直球、鋭いフォークやスライダーをノーサインで捕球していたのは有名。村田さんの視力が悪かったことやサイン盗みの対策などが理由だったが、その代償として負傷も絶えなかったという。引退登板となった90年10月13日の西武戦(川崎)では右腕からの要望を受け、2軍から呼び寄せられマスクをかぶった。同日限りで自身も引退することを明かし「走者が出るまではきょうもノーサインでいったんです」とスポーツ報知の取材に答えている。
現役13年間で通算911試合に出場し、打率2割3分1厘、38本塁打、231打点。引退後はロッテで2軍コーチに就任し、1軍バッテリーコーチやスカウトを歴任。西武でも2年間、コーチを務めた。BC武蔵でもコーチとして指導するなど後進の育成にも熱心だった。