阪神・岡田彰布オーナー付顧問が語ったオリックス・平野佳寿 前年3勝12敗の投手をリリーフ転向「自分で考えて、頑張って、やってきたおかげなんよ」…引退企画メッセージ

スポーツ報知

引退セレモニーで岡田彰布氏から花束をうけとった平野佳寿(カメラ・義村 治子)

 オリックスの平野佳寿投手(42)が、25日のソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で引退セレモニーを行った。平野が恩師として感謝する一人が、阪神・岡田彰布オーナー付顧問(68)だ。プロ5年目の2010年に先発からリリーフに回り、能力が完全開花。配置転換を決断したのが、当時のオリックス・岡田監督だった。12年までの3年間指揮。11年には最優秀中継ぎのタイトルを受賞。日本を代表するクローザーへ飛躍する出発点をつくった岡田顧問。平野との出会いを懐かしみ、ユニークな言葉で日米通算21年間の現役生活をねぎらった。

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■短いイニングならいける

 選手は自分でポジションを決められないからな。一番、能力を発揮できるポジションはどこなのか。どういう能力があるのか。それはこちらが判断しなければいけない。球種、球の勢いを考えると、短いイニングならいけるんじゃないかな…と。平野に関しては、そういう判断をしたよな。

 オリックスの監督だったのは2010年からの3年間。前年の成績を見たら、先発で3勝12敗よ。「12回も負けるまで、よう投げさせてもらったな」って平野に言うたよ(笑)。それが最初の会話だったのと違うかな。その時から後ろ(リリーフ)をやらせるつもりやったよ。

 2月のオープン戦。(高知の)安芸で、阪神戦よ。3イニングいこうと言うて、7失点したのと違うかな。これで打たれたら納得するやろう、と思って。先発をあきらめさせたというより、何かインパクトを与えないとアカン。真っすぐとフォーク。あの武器があれば、短いイニングで三振が取れると思ったからな。

 前年のリリーフは確か、大久保(勝信)と加藤(大輔)と菊地原(毅)が中心だったよな。年齢的にも、もうベテラン。平野ともう一人…と思った時に、浮かんだのが岸田(護)よ。平野と違って、前年の成績が10勝4敗。岸田の場合はシーズンでも最初は先発をさせて、打たれてあきらめさせようと思った。後ろは平野と岸田でいく、という考えがあったからな。

 体が強くて、連投が利く。ランナーが出てもクイックができるから、走られへん。もう、適任やったよな。むちゃをしないから、そんなに大けがもしてない(打たれていない)やろ。長打、ホームランを打たれたらアカン場面では、きっちりアウトコース低めで勝負ができた。打者の裏をかいてインコースとか、そういう攻め方もしなかったな。

 後ろのピッチャーでイケイケはアカン。怖い。そういう意味でも、平野は感情を出すタイプじゃなかったよな。状況を考えて投げることができるんよ。逆に(危ないと)分かっていても自分の球威で打ち取らなアカンし、いかなアカン時がある。そういう場面では、ちゃんといくんよ。それができたから、平野に関してはとてつもなくやられたというのはなかったよな。

 毎試合のように投げると当然、相手が慣れてくるんよ。自分の1セーブ、1ホールドもあるけど、一番はチームの勝ち負けに影響するポジションやから。それはキツいよ。平野なりにいろいろ考えてたんやろう。自分の特長を生かすためにな。このままじゃアカン、っていう気持ちよな。ここまで数字を伸ばせたのは、自分で考えて、頑張って、やってきたおかげなんよ。

■人間性…一番大事

 メジャーでも3年プレーして、150試合か。たいしたもんやと思うよ。メジャーに行くとき、オリックスに帰ってくるとき、必ず連絡をくれたよな。引退するときも「発表はあしたの何時になります」って言うて律義にな。現役でプレーするだけじゃないし、後々も(人生が)続いていくわけやから。人間性って、一番大事かも分からんな。

 オリックスで言えば平野にしてもT(―岡田)にしても、金子(千尋)にしても、何とか能力を生かしてやらなアカンと思った。そういう目で選手を見ているから。例えば配置転換とかそういうものがハマって、タイトルを取ってくれると、おれはうれしかったよ。考えたことをちゃんとやってくれたら、絶対に良くなると思っていたからな。

 どの選手も絶対、どこかでは辞めなアカン。みんなが通る道やからな。でも、やり遂げた辞め方とか、いろんなものがあるやんか。平野は誰が見てもな、もう完璧に完全燃焼した野球人生と違うかな。何も言わんでも、分かっているから。「長い間、お疲れさん」。かける言葉って、それしかないやんか。平野がよく「岡田さんのおかげです」って言ってくれるみたいやけど、やっぱり平野自身のおかげなんよ。もしかしたら、3勝12敗の出会いがこたえとるんかな?(笑)

 ◆岡田 彰布(おかだ・あきのぶ)1957年11月25日、大阪市生まれ。68歳。大阪・北陽(現関大北陽)では1年時の73年夏に甲子園出場。早大を経て、79年ドラフト1位で阪神に入団。80年は新人王に輝き、85年は球団初の日本シリーズ制覇に貢献。94年にオリックスへ移籍し、95年限りで現役引退。通算1639試合で打率2割7分7厘、247本塁打、836打点、76盗塁。96年にオリックス2軍助監督兼打撃コーチに就き、98年に阪神復帰。2003年オフに監督就任。05年にリーグ優勝。08年限りで退任し、10~12年はオリックス監督。23年に阪神監督に復帰し、球団2度目の日本一。24年限りで退任し、同年11月にオーナー付顧問就任。

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