自由競争時代の強打の内野手、争奪戦が過熱
南海ホークスで外野手、監督として活躍した穴吹義雄氏が7月31日、亡くなった。85歳だった。穴吹氏は1933年香川県生まれ。高松高から中央大に進む。中央大では2年連続首位打者になるなど屈指の強打者として活躍。4年生時の1955年にはプロ野球各球団による争奪戦になった。
ドラフト制度がなかった1950年代、各球団は選手獲得に札束攻勢をかけた。南海の鶴岡一人監督は、穴吹氏が3年生の時にはすでに声をかけ、相談に乗る間柄になっていた。
4年生になって、同じ高松出身の水原監督がいる巨人、同じく三原監督の西鉄、中央大理事を兼務していた大川オーナーが率いる東映、阪神などが、穴吹争奪戦に参戦したが、穴吹義雄氏の兄など家族、後援者の信頼も勝ち得ていた南海が、穴吹氏...