松井稼頭央、片岡治大、金子侑司…… 埼玉西武ライオンズ背番号「7」の歴史

2021.1.19(火) 20:00 パ・リーグ インサイト
埼玉西武ライオンズ・金子侑司選手【撮影:丹羽海凪】(C)PLM

 プロ野球選手にとって背番号は自身の顔とも言え、代々受け継がれていく背番号は選手の背中で輝きを放つ。かつて日本でプロ野球が始まった頃、打順や契約順などさまざまな形で番号が決まっていた。現在も背番号の決め方に関して決まりはないが、それぞれの球団にとって「特別な番号」がうまれ、背番号が意味を持つようになった。
 昨季「ライオンズ」命名70周年を迎えた埼玉西武ライオンズ。チームの顔となる外野手のイメージが強い背番号「1」、強打者揃いの「3」、エースナンバーの「18」など、伝統的背番号はかつて背負ってきたレジェンドたちの魂とともに若獅子たちへと受け継がれている。
 今回は「スピードスター」の印象が強いライオンズの背番号「7」の歴史を振り返る。「7」は、かつてチームの指導者も務めた伊原春植氏(1971〜1975年)、広瀬宰氏(1976〜1979年)、在籍時に10度『ゴールデングラブ賞』を獲得した石毛宏典氏(1981〜1994年)らが背負った番号だ。「ミスターレオ」と呼ばれた石毛氏はチームリーダーとして黄金期を支え、14年にわたりこの番号を...

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