レギュラーシーズンが終了し、今季も多くの選手が球界を去った。その中でも、現役生活の最後に、引退セレモニーというかたちでファンの前にその勇姿を見せられる選手はほんの一握り。そして、応援してくれたファンや、支えてくれた球団関係者や家族たちに対して感謝の言葉を述べる引退スピーチは、往々にして見る者の胸を打つものだ。
今回は、2018年と2019年に開催された各選手の引退セレモニーの中から、各選手の引退スピーチについて紹介。プロ野球選手という立場でファンに伝える最後の言葉を、あらためて振り返っていきたい。(括弧内の所属は引退当時)
石井裕也氏(北海道日本ハム)
石井氏は先天性難聴を抱えながらプロ野球の舞台で3球団を渡り歩き、優秀な左のリリーフとして14年間にわたって投げ続けた。引退スピーチでは様々な人々の応援や支えに感謝し、プロ野球人生を「僕にとって、かけがえのない時間でした」と形容して、支えてくれた周囲の人々に感謝した。2012年の日本シリーズで打たれ、敗戦投手になった後も大きな声援と拍手で迎えてくれたファイターズファンは「心が折れそうになった僕を救ってくれました」と語り、あらためてこれまでの応援に謝意を伝えた。
石井氏は、常にサポートしてくれた家族に対する感謝の気持ちも伝えた。「難聴というハンデを持って生まれてきた僕を、周りの子と同じように育ててくれて、たくさんの愛情を注いでくれて、一番のファンでいてくれたお母さん、ありがとう」。“サイレントK”の異名を取ったサウスポーが自分の言葉で紡いだ実直なスピーチは、栗山監督や何人ものチームメイトたちも目に涙を浮かべるほどに聴衆の心に響く、感動的なものとなった。
矢野謙次氏(北海道日本ハム)
12年半にわたって在籍した巨人時代は、代打の切り札や外野のスーパーサブとして活躍。2015年6月に北海道日本ハムに移籍してきてからは打率こそ振るわなかったが、主に代打として重要な局面でたびたび印象的な働きを見せた。スピーチは「16年間、一度もレギュラーを取ったことがなく、生え抜き選手でもない私に、これだけの晴れ舞台を用意してくださったことに、心から感謝いたします」と、周囲への感謝か...
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