プロで活躍、大学でフィーバー…12球団の現役監督が「新成人」だったとき
2019年1月15日 19:48
Full-Count 広尾晃
埼玉西武・辻発彦監督が新成人を迎えたのは1979年、日本通運浦和に所属していた※写真提供:Full-Count(写真:荒川祐史)
12球団の監督は「新成人」をどんな状況で迎えていた?
今は指揮官として、ペナントレースの采配を振るセ・パ両リーグ12球団の監督は、「新成人」をどんな状況で迎えていたのだろうか。【パ・リーグ】○埼玉西武 辻発彦監督(1958年10月24日生まれ) 新成人=1979年 佐賀県立佐賀東高校時代は2年生後半で身長が急に伸びて打撃力もアップ。シャープな二塁手として注目された。79年は社会人野球の日本通運浦和に入社して3年目。守備、打撃のセンスは光っていた。埼玉西武にドラフト2位で指名されたのは4年後の25歳の時だった。○福岡ソフトバンク 工藤公康監督(1963年5月5日生まれ) 新成人=1984年 名古屋電気高校から1981年のドラフト6位で埼玉西武に。素材は「ドラフト1位級」と評価され、1年目から1軍で投げる。1984年は3年目。わずか9試合の登板に終わったが、提携する米マイナー、サンノゼ・ビーズで20試合に投げ3勝4敗、防御率1.91の成績を上げ、自信がつき、翌年からローテーションの一角を担うことになる。○北海道日本ハム 栗山英樹監督(1961年4月26日生まれ) 新成人=1982年 国立の東京学芸大学教育学部3年生。1年時から投手として試合に出場。小柄ながらも鋭い切れ味のスライダーを駆使して2年春の東京新大学野球連盟での優勝に貢献した。しかし、右ひじの故障で外野手に転向。当時、東京学芸大からプロ入りした選手はおらず、本人も教員志望だったが、83年ドラフト外で東京ヤクルトに入団した。○オリックス 西村徳文監督(1960年1月9日生まれ) 新成人=1980年 宮崎県立福島高校から国鉄に入社して2年目。鹿児島鉄道管理局野球部でプレーしていた。午前中は、国鉄鹿児島駅で改札の切符切りなど職員として普通に業務に就く。抜群の駿足がスカウトの目に留まり、1981年ドラフト5位で千葉ロッテに入団した。○千葉ロッテ 井口資仁監督(1974年12月4日生まれ) 新成人=1995年 国学院久我山高校から青山学院大学に進んで3年目。高校屈指の大型遊撃手であり、レギュラーとしてプレー。当時の青学は最盛期で、1年先輩に坪井智哉、同級生に倉野信次、澤崎俊和、清水将海、1年後輩に高須洋介と、のちにプロで活躍した選手がいたが、井口は4年生時には主将として強豪チームを率い、ドラフト1位(逆指名)で福岡ダイエー入団。○東北楽天 平石洋介監督(1980年4月23日生まれ) 新成人=2001年 PL学園時代は、主将として甲子園で横浜高校の松坂大輔らと好勝負を演じる。同志社大学に進むも、高校時代に痛めた左肩を治すため入院。しかし、復帰後は俊足外野手として活躍し、世界大学野球選手権にも出場。卒業後、トヨタ自動車を経て2004年ドラフト7巡目で新球団東北楽天の第一期選手になる。 続きを読む