埼玉西武のレアンドロ・セデーニョ選手が来日3年目を迎えた。
育成選手としてオリックスに入団したセデーニョ選手。来日初年度の2023年5月に支配下選手となり、57試合に出場して9本塁打の成績を残す。翌2024年には98試合で打率.260、OPS.758、チームトップの15本塁打を放ち、同2位の37打点と活躍した。今季から埼玉西武に移籍。巻き返しを図るチームにおいて、スラッガーとして期待をかけられている。
日本で得たことやラテン系選手との交流、野球を始めたきっかけ…… ベネズエラ出身の若き大砲にパーソナルな話を聞いた。
※取材日:7月16日(水)
◇ ◇ ◇
ーーNPBでプレーして3年目。日本の野球はいかがでしょうか。
はい、素晴らしい経験をさせてもらっています。日本の選手の皆さんからは多くを学びました。彼らはとても規律があり、日々の行動において常にパーフェクトを目指しているように感じます。この3年間はとても素晴らしいものでした。これから先も日本にいられることを願っています。
ーー3年間の日本プロ野球で学んだこと、役に立ったことは何ですか?
日本の選手は特に守備においてパーフェクトであろうとしますよね。練習では、ゴロもフライも何もミスしないように努めます。それが私自身にとっても、日々自分を追い込み、向上しようとすることに大いに役立ちました。
ーー日本の印象について教えてください。国、文化、食べ物など……
最高です! 最初日本に来るとなったとき、「どうだろう?」と思っていましたが、日本に来るとすべてが変わりました。食べ物は美味しく、人々はとても親切で、あらゆる面で助けてくれます。電車で迷子になったら、どの電車に乗ればよいか親切に教えてくれます。とても美しく、整った国です。とても気に入っています。
ーー好きな日本食はありますか?
いくつかありますよ。もちろんラーメンは私のお気に入りの一つ。特にとんこつラーメンが好きです。あとは焼肉も大好きです!

ーークラブハウスの雰囲気はどうですか? チームメイトの様子は?
ラテンの皆さんがご存知の通り、日本の選手たちは感情を表に出すことがあまりないです。勝っても負けても同じようにやるべきことを日々しています。アメリカでは勝てば音楽をかけたり、笑ったり、大声で話したりすることはありますが、ここでは勝っても大盛り上がりをすることはあまりないです。
しかし、チームが大きく変わったので、もちろん大きな喜びがあります。勝てるチームであることは良いことですし、この一員であることに満足しています。
ーーチームメイトの中で印象的な選手は誰ですか?
今井達也投手は素晴らしいシーズンを送っていますし、ベテランの中村剛也選手は日本野球のレジェンドです。源田壮亮選手はとてもいいショートストップですね。平良海馬投手も、そしてルーキーの渡部聖弥選手も本当に信じられないほどいいプレーをします。
ーー日本のファンの前で日本語を話すことも。どうやって学んだのですか?
チームメイトとたくさん話していますし、通訳のヨンデル(アレックス・ラミレス氏の甥)とも話すようにしています。彼はとても助けてくれて、その場で思い出せない言葉も教えてくれます。それを練習して、チームメイトと一緒にいるようにしています。それが私が言葉を学んだ方法です。
チームメイトとゲームをすることも、私が日本語を学べた方法の一つです。彼らと話すことで、たとえ理解できなくても、試行錯誤しています。私の発音はかなりいいと思うので、チームメイトもファンの皆さんも理解しやすいのではないかと思っています。
ーー特に仲が良いチームメイトは?
みんなとかなり仲が良いですが、蛭間(蛭間拓哉選手)とはかなり仲が良いです。蛭間はよく笑いますし、彼が一番、仲が良いと思います。
ーー昨年までオリックスでプレーしていましたが、元チームメイトとの対戦はいかがですか?
いいですよね、素晴らしい機会だと感じています。彼らと対戦するのはとても楽しいですね。もちろん彼らは私の実力や特徴を知っていますが、私も彼らをよく知っています。今年は彼らと対戦する機会がまだあまりないですが、対戦したときはとても楽しかったです。
ーー以前、セデーニョ選手がエスピノーザ投手(オリックス)とベネズエラで一緒にグラウンドにいるビデオを見ました。彼とはいつから知り合いですか?
子どもの頃、ベネズエラで私たちはよく試合をして、対戦していました。プロになってからはお互い話す機会が減ってしまいましたが、アメリカで再会してまた話すようになりました。彼とはずっと昔からの知り合いで、お互いのことを良く知っています。
ーー普段から、日本でプレーするラテン系選手とは連絡を取り合っていますか?
いつも話していますよ。多くの選手、例えば来日1年目の選手は私に連絡してきて、「どうすればいいのか」「これはどうするのか」と聞かれます。
ーー特に誰とコミュニケーションを取っていますか?
バファローズのマチャド投手とは同じ携帯ゲームをしているので、ほぼ毎日話しています。カープのモンテロ選手とも、いつも連絡を取り合っていますね。彼とはセントルイス・カージナルス(マイナー)と契約するときに一緒に契約したので、何年も前から知っています。

ーー話は遡って、セデーニョ選手のキャリアについてお聞きします。野球を始めたきっかけは?
父が野球場に連れて行ってくれたことがきっかけです。父はプロ選手ではなかったのですが、彼自身も野球をしていました。私は確か4歳か、5歳くらいから野球を始めましたね。
ーーその年齢から! 長くプレーされていますね。
はい。父はいつも私を応援してくれました。ただ小さいときは、いろいろなスポーツもやりました。少しの間ですがバレーボールもしましたし、バスケットボールも少し。多くの学校の友人はサッカーをしていたので、私もサッカーをしたいと思っていたのですが、実際に練習に行ったのは一日だけでした(笑)
ーーベネズエラの野球の雰囲気、環境はどうでしたか?
常にいい雰囲気で、競争も激しく、成長し続けています。父は私のコーチで、いつも私を指導してくれました。チームでは監督もしていました。
ーーなぜ日本でプレーすることに決めたのでしょうか。
日本に来る前年にアメリカでいいシーズンを送ることができ、オファーを待っていると日本のチームからオファーをもらいました。育成選手での契約でしたが、支配下選手になれるという自信を持ちながら、努力を重ね、支配下を掴みました。日本に来た当時は24歳と若かったので、いろいろなチャンスを得られるとポジティブにとらえて頑張りました。
ーー日本での生活は難しいこともあったのでは?
あまり難しいと感じていませんが、もちろん最初の数カ月は複雑でした。スーパーマーケットに行っても何を買えばいいのかわからなかったのです。しかし、先ほど言ったように、日本では誰もが助けようとしてくれます。もし、迷っているように見えれば、どこに物があるかを教えてくれたりします。
私にとって最も難しかったのは、ベネズエラとの時差です。私は家族が大好きで常に家族と連絡を取り合っていたいのですが、時差がかなりある(-13時間)のでそれが困難でした。
ーー故郷について、恋しいと思うことはありますか?
ベネズエラでは祖母の家で午後の時間を過ごし、叔父と遊んでいることが多かったので、その時間がとても恋しいです。
ーー日本野球の印象はどうですか?
とても成長し続けているように思います。今海外では、日本球界で何が起きているか、これまでより注目が集まっています。なぜなら、日本から非常に多くのいい選手が出てきているから。日本のプロ野球はピッチャーもバッターもレベルが向上し、毎年成長しています。私もその一員であることが、信じられないくらい素晴らしいことだと感じています。
ーーパ・リーグの試合はラテンアメリカでも放送されています。
いいですね! 友人や家族からいつも「どこで試合を見られるの?」と聞かれます。だから、母国から試合を見られる場所があるのは、時差を考えてもとてもいいことです。
ーーセデーニョ選手にとって、日本でプレーすることはどのような意味を持ちますか?
「誇り」です。このリーグでプレーし、成功できた人はごくわずかだからです。私は3年間ある程度、成功してきたと思います。今年は少しずつ前に進んでいますが、まだ期待通りではありません。しかし、私が一緒にプレーしてきたチームメイトやチームから、多少なりとも評価を得られているのではないかと思います。本当にここにいられることは誇りです。
ーーラテン系のファンや若い選手がパ・リーグの試合を見ていると思います。メッセージをいただけますか。
ぜひ、試合を見てほしいと思います。日本の野球は飽きることがありません。試合はかなりスピーディーに進みますし、このリーグには多くの才能ある選手がいます。そして毎日全力を尽くしています。
ーーパ・リーグを見て、日本でプレーしたいと考える若い選手もいるでしょう。彼らにアドバイスするなら……
諦めずに、常に努力し続けることです。野球は時に試練を与えますが、どんな障害があっても常に精神的に強く、努力し続ける必要があるのです。そして、いつ、どんな機会があるかわからないですし、もしかしたら日本でプレーする機会があるかもしれません。いつでもしっかり準備をしておくことです。勤勉で礼儀正しい人であれば、楽しい時間を過ごせるでしょう。
ーー最後に日本のファンにメッセージをお願いします!
いつも応援ありがとうございます!ライオンズを、そして私を応援し続けてくださると嬉しいです。私たちはファンの皆様の期待に応えられるよう、毎日100%の力を出していきますので、引き続きあたたかい応援をお願いします。
インタビュー・竹林慎太朗
文・菊地綾子
