
◆パ・リーグ オリックス―ソフトバンク(25日・京セラドーム大阪)
今季限りで現役を引退するオリックス・平野佳寿投手兼投手コーチが試合前に記者会見を行った。最後のマウンドに立ち、試合後にはセレモニーも実施。ラスト登板を前に、日米で21年間に渡ったプロ生活への思いを語った。
以下は一問一答
―今の心境
「もう、やり切らせていただいた。本当にコツコツと、お釣りが来るくらいやらせてもらったと思います」
―球場入りしてからは
「お花をご用意していただいたり。Tシャツを用意してくれたり。本当うれしいですね」
―練習中は仲間が背番号16のTシャツを
「当たり前ですけど、16番を(他人が)着けてるのを見たことなかったので。16番をみんなが着けていて『あ、16番かっこいいな』と思いました。そういう背番号を長らく背負わせてもらって、本当にオリックスに感謝してます」
―引退を決断した理由
「本当にシンプルに、戦力にならない。それが一番の原因です。あとはけが(右太もも裏肉離れ)もちょっと重なったので。逆に言えば、そこで本当にダメかなと、すっきり、すっぱりできたのかなと思います」
―いつごろ
「7月ですね。下(2軍)の方でも投げさせてもらってて、どうかなと思うところもあったところで、けがもして」
―21年間で一番の思い出
「やっぱり21年に(米国から)帰ってきた1年目で優勝できた。あの瞬間は一番、忘れられないですね」
―渡米前のチームは苦労したが、復帰後に3連覇
「僕1人の力ではできなかったですし。皆さんの支えもありましたし、まあ、もちろん運もありました。でも、少しでもその3連覇に貢献できたと思うのだったら、本当に戻らせてもらって良かったです。あの3連覇があって、ちょっと救われた部分も自分の人生にあったのかなと思います」
―日米通算852登板
「中継ぎになってからの方が多いし、中継ぎは、僕の中では試合数を投げてナンボ。それだけ積み重ねてこれたのは本当に良かったなと。自分によくやったなと言ってあげたいですね」
―リリーフの喜びとは
「勝ち試合に投げさせてもらうことが多かったので。チームが勝つこと。そこに尽きます。それに貢献できたのが一番です」
―通算250セーブ、今季は1000奪三振も達成
「そこにこだわりがないと言ったらあれですけど。本当に体が丈夫だったからここまでできたんじゃないかなと思ってますし。体が丈夫なら、みんなができたことだと思う。決して僕の実力だけではないですし、みなさんに感謝したいです」
―オリックスへの思い
「アメリカに行った時も、快く送り出してくれ、帰ってくるときも快く受け入れてくれた。本当に心から感謝しかないです」
―入団時もオリックスが一番最初に声をかけてくれ、その球団で42歳まで
「想像できなかったですね。40歳まで、というざっくり目標を持ってましたけど、まさかここまでやれると思ってませんでした。本当にありがとうございました」
―自身の野球人生とは
「本当に『出会い』だったと思います。いい出会いがたくさんありました。みなさんの力を借りて、ここまで21年間やらせてもらったなと思います。1人では絶対にできなかったので。野球人生は、本当に感謝という言葉が一番ですね」
―一番大きな出会いは
「それを言われると難しい。全部一緒ぐらいです。ピンポイント、ピンポイントで誰がというのはなくて、本当にいままで出会った方々に感謝してます」
―今後の野球への関わり方
「今年1年、コーチもやらせていただいてて。本当にコーチの方がこれだけ動いて、選手1人のために何事も考えてるっていうのも見させてもらって。それで僕らは(選手として)1年間やらせてもらってたんだなと思いました。逆に次が僕がそういう立場になるなら、今度は若い子たちに今までやってもらったことを返す番だと思うので。僕が必要とされれば、そこに全うしていきたいだけです」
―入団当初はスライダーが武器。フォークが武器になった経緯は
「フォークはやっぱり、僕の中でそれしかなかった。自分の中で磨けたのかなと思います。投げられなくはなかったので。でもプロに入って先発としてスライダーを軸にしていると、行き詰まる部分があって。やっぱりフォークボールだなと感じました。そこからフォークを決め球として投げるようになっていったので、中継ぎになったからフォークを投げたわけではないです。それくらいプロのバッターはレベルが高かったですし、やっぱり。フォークがなければ抑えられないと思って、勉強して、投げて学んだという感じです」
―岸田護監督への思いは
「1年目からずっと一緒に練習させてもらいましたし。引退する時に岸田監督で、何か縁があるのか分からないですけど、良かったなと思います。ただ、監督になられたこの1、2年で何もプレーヤーとしては貢献できなかったので。そこはすごく僕は申し訳ないなと思っています。来年以降、どうなるかまだわかりませんけど、もし2人で一緒にやれるのだったら、下で働いて、胴上げできるようにやっていきたいです」
―リリーフ転向を振り返り
「それがなかったら、21年もできなかったですし。あの時は本当にもう何も考えずに、先発で全然ダメだったので、どこでも1軍にしがみつけるなら、言われたところをしっかりとやる。先発への思い入れもありましたけど、すんなりと受け入れることができたので。あの時がなければ今はなかったなと思います」
―体が丈夫だと語ったが、そのために何をしてきた
「大学の時に教わって。コンディショニングをどう整えるか。毎日毎日、行き当たりばったりで今日は悪いわ、いいわ、じゃなくて。毎日ちゃんと平均に持っていくというのを意識できたのが大学で教えてもらったこと。それをプロに入って、同じルーチンのなかでも、昨日はこうだったから今日こうなるとか考えて。それの積み重ねで、自分の体を知ることができて、アジャストして調整できたので、ここまで来られました」