ヤクルトで最多勝獲得のホッジス氏は西武で外国人発掘に奔走「チームにプラスになる選手を獲得したい」/ライオンズ「チームスタッフ物語」2022【Vol.02】

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2022.7.27(水) 10:01

グラウンドで躍動する選手たちだけではなく、陰で働く存在の力がなければペナントを勝ち抜くことはできない。プライドを持って職務を全うするチームスタッフ。ライオンズを支える各部門のプロフェッショナルを順次、紹介していく連載、今回はかつてヤクルト、楽天でプレーし、現在は国際業務チーフ補佐兼駐米担当を務めるケビン・ホッジス氏を紹介しよう。

日本球界の環境に慣れるのは早かった



現在は西武で国際業務チーフ補佐兼駐米担当を務めるホッジス氏[写真=球団提供]

 193センチの長身からチェンジアップ、フォーク、カーブ、スライダー、シュートと多彩な変化球を低めに集めるピッチングが印象的だった。2001年シーズン途中にヤクルトへ入団したホッジス氏。8月からの2カ月間で5勝を挙げて優勝に貢献、さらに翌02年は17勝をマークして最多勝を獲得した。03年は5勝に終わりヤクルトを退団すると、04年は韓国でプレー。05年は仙台に誕生した楽天のユニフォームを着たが、結果が伴わず1年限りでチームを去った。日本球界では4年間、マウンドに立ったが、「日本では素晴らしい思い出ばかりが残っている」と言う。

「2001年はシーズン途中にスワローズへ入団したけど、この年、日本シリーズで(近鉄)バファローズを倒して日本一になった。これは日本球界での一番の思い出だね。さらに印象深かったのは初登板。甲子園での阪神戦(8月1日)に先発して、家族が見守る中、勝利を飾ったけど、スタジアムの盛り上がりがすごかった。そのときは、まだ甲子園の歴史などは知らなかったけど、のちのち歴史のあるスタジアムだということを学んだよ。

 ボクは比較的、日本の環境に慣れるのは早かったと思う。広い心を持って、どんなことがあっても受け入れよう、と考えていたからね。チームメートの外国人選手も心強かった。特にアレックス・ラミレスはかなり助けてくれた。だから、『なぜ、ボクはこんなところにいるんだ』という気持ちにならなかったし、本当にいい時間を過ごせたと思うね。 


ヤクルトでは捕手の古田[右]を信頼して投げ、勝利を積み上げた[写真=BBM]

 ピッチングで日本球界にアジャストが一番必要だったのは、配球面かな。日本人の左打者は外角に落ちるボールをヒットゾーンに運ぶのが上手だった。それはボクの決め球でもあったので、それを生かすために配球を調整する必要があった。それでも、ボールを受けてくれていたのが名捕手の古田(敦也)さんだったからね。もう、100パーセント信用していたよ。バッターのことを知り尽くしているし、彼のリードどおりに投げていれば大丈夫。古田さんが、ほかのピッチャーに対してどのようなリードをしているのかも勉強したよ。とにかく、日本で結果を残すために欠かせないチームメートだったね」

カットボールを取り入れて飛躍



来日2年目の02年には17勝を挙げて最多勝に輝いた[写真=BBM]

 2002年のヤクルトは先発投手が6枚そろわず、ホッジス氏は志願して可能な限り中4日で登板を続け、苦しいローテーションの中軸を担ってきた。安定感も抜群で、5月中旬から7月上旬からは破竹の8連勝。不敗神話も生まれた。

「2年目に17勝挙げて最多勝に輝いた要因? それは100パーセント、ラッキーだったからだよ。いや、それは冗談だ(笑)。一番はカットボールを取り入れたことかな。ヒントを与えてくれたのはドラゴンズの川上(憲伸)さんだ。彼のカットボールは素晴らしいキレ味を誇り、打者を抑えていた。自分も習得したら大きな武器になると思ったね。さらに、やっぱり対戦相手を研究したことだね。例えば次にカープ戦に登板するとしたら、他球団で右投手とカープ打線が対戦しているゲームをとにかく見た。あとは、五十嵐(亮太)さん、石井(弘寿)さんの『ロケットボーイズ』とクローザーの高津(臣吾)さんのおかげ。リリーフ陣がしっかりしているから、6イニングを投げるだけで十分だったからね。

 印象に残っている対戦バッターはたくさんいるよ。ドラゴンズの福留(孝介)さん、東京ドームでジャイアンツの松井(秀喜)さん、高橋(由伸)さん、清原(和博)さんと対戦したのも素晴らしいチャレンジだった。でも、何と言ってもワタシにとって難しい対戦バッターだったのはタイガースの桧山(進次郎)さん。彼はワタシからだいぶヒットを打ったので、それでだいぶ打率が上がったんじゃないかな(3年間の対戦成績は36打数16安打、打率.444)。


05年は楽天でプレーしたが、同年限りで退団した[写真=BBM]

 最後は楽天でプレーしたけど、自分のコンディションが悪くていい結果を出すことができなかった。でも、仙台に新たに誕生した新球団でプレーできて良かった。首脳陣、選手、スタッフ、そしてオーナーの三木谷(浩史)さんもよくしてくれて、楽しい時を過ごすことができたね」

チームに足りないピースをカバーする


 05年限りで日本球界を離れ、06年はアメリカの独立リーグでプレーしたが、同年ユニフォームを脱いだ。その後は不動産業を営みながら少年野球のコーチを務めるなど、家族との時間を大切にしてきた。充実した日々だったが、日本球界への思いも心の中から消えなかった。

「引退後の生活も楽しかったけど、親交のあった元カープのエリック・シュールストロムや元タイガースのアンディ・シーツが駐米スカウトをやっているのを聞いていたから、自分もその仕事をやってみたいと思うようになってね。それで、エージェントに相談したら、ライオンズとつながりができて、2012年から働くようになったんだ。

 基本的にはアメリカでプレーしている選手のスカウティングをやっている。メジャー・リーグや3Aなど、いろいろなところにアンテナを張っているよ。直接目で見たり、ビデオでプレーを確認したり。シーズン当初は候補リストに多くの選手の名前が載っているけど、オフに向けてどんどん絞り込んでいく形だね。

 一番に考えるのは、チームをヘルプできる選手。どんな選手が必要か、その時々によって変わってくるからね。でも、やっぱり日本人選手が持っていないものを持っている選手を探すことが大事になるかな。例えばエルネスト・メヒア。彼は14年シーズン途中にライオンズに加わって本塁打王に輝いたけど、日本人選手にはない強烈なパワーを持っていたからね。その選手の力が、チームにどのようにプラスになるかは考えないといけない。


ライオンズのためにこれからも好選手を獲得することを誓う[左から宮村俊介国際戦略チーフ、ホッジス氏、辻発彦監督、セギノール駐米国際業務、土肥義弘国際業務チーフ兼バイオメカニクス兼企画室兼リハビリ投手技術担当、渡辺久信GM。写真=球団提供]

 今年は投手では新しくディートリック・エンス、バーチ・スミス、ボー・タカハシの3投手を獲得した。まずはベロシティ(球速、球威)が3Aの平均より上だ、というところを判断基準にしたね。さらに使える変化球が多くあること。あとはやっぱり本人に日本に来る意思があるか、ということが重要になってくる。なかなか、すべての条件をそろえている選手は少ないんだよね。

 だから、代理人に選手が日本に興味があるのか確認しないといけない。そのあと、練習施設のスタッフにその選手に関して話を聞いたりするね。でも、代理人などはいいことしか言わない可能性が高いから(笑)。ベストなのは一緒にプレーしていた選手からの情報だと思う。例えばブライアン・オグレディなら3Aエルパソ、エンスならタンパベイ・レイズのときチームメートと話をして、彼らがどのような考えを持っているかを調べたりしたね。

 日本で実力を発揮するには成功したいという意欲にあふれていることや、日本の環境、生活を受け入れることが大事になる。異国の地で思うようなプレーができなくなると、『オレはラーメンが嫌いだ』とか、いろいろと難クセをつけ始めてしまう選手もいる。でも、やっぱりそういった姿勢だとプラスの方向にはいかないよね。どんなときでも謙虚に野球と向き合って、事態を打開することに懸命にならないといけない。いま、ライオンズにいる外国人はみんなそういったタイプだから、問題ないと思うよ(笑)。

 今後の目標はこれまでと変わらない。チームに足りないピースをカバーして、勝利に貢献できる選手を探してくることが第一だ。将来的には国際業務のディレクターなどになれたら素晴らしいことだよね。まあ、とにかくいつまでも大好きなベースボールにかかわる仕事ができたらうれしいしよね」

文=小林光男

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