小笠原道大のフルスイング、金子誠の守備、松坂大輔の155キロ…東京ドーム時代の日本ハムの思い出/伊原春樹コラム

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2022.7.17(日) 10:00

月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2022年5月号では東京ドーム時代の日本ハムに関してつづってもらった。

野球に対してお手本になる姿勢



代名詞のフルスイングから強打を発揮した小笠原

 打者では田中幸雄、小笠原道大など素晴らしい選手もいた。田中は当初、ショートを守っていたが、肩がめっぽう強い。しかし、送球が不安定なのが惜しかった。打撃力は抜群。30本塁打に届いたことはなかったが、パンチ力があってツボにはまればスタンドまで持っていかれるパワーがあった。かと言って、ブンブン振り回すだけではない。そうでなければ2000安打を打つことなどできないだろう。

 小笠原は1997年ドラフト3位で日本ハム入団。3年目の99年に全135試合に出場して25本塁打を放ったが、強烈なフルスイングには目を見張った。相手投手と対峙する瞬間にバットのヘッドを大きく斜め前に伸ばし、ヘルメットが飛ぶほどの力強いスイング。それでいてバットの芯にコンタクトする能力が高い。2002年、03年に打率.340、.360の高アベレージで首位打者に輝いている。

 小笠原はプロ野球選手にしてはそんなに体が大きいほうではない。その“ハンディ”を補うために徹底してバットを振り込んだ。私は07年、巨人ヘッドコーチに就任したが、同じ年に小笠原はFAで日本ハムから移籍してきた、いわば“同期”だ。巨人でもとにかく野球に対してストイック。納得いくまで練習を行う姿を目の当たりにした。巨人では1年目から4年連続で打率3割、30本塁打をマーク。07年からの3連覇に大きく貢献してくれたが、その打撃はもちろん、野球に対する姿勢を巨人ナインに示してくれたことが非常に大きかったと思う。

 金子誠の守備も絶品だった。二塁手、遊撃手として内野陣を引き締めていたが、特に二塁守備だ。とにかく体の柔らかさが目を引いた。タコのようにフニャフニャとして、どんな体勢でもしっかりと捕球でき、そこからの送球も抜群。ハンドリングも優れ、とにかく安定感が群を抜いていた。私が見てきた中では歴代No.1の守備力を誇る二塁手だったと言って過言ではない。

「大輔はどうやった」「速いですわ」



99年、東京ドームでプロデビューした松坂を相手に片岡はフルスイング

 東京ドームの日本ハム戦と言えば松坂大輔のプロ初登板も印象深い。中でも読者の皆さんも同様だろうが、初回、片岡篤史相手にマークした155キロだ。2ボール2ストライクからの5球目。内角高めのボールゾーンに松坂の剛球が吸い込まれていったが、片岡はフルスイング。空振りした片岡は勢い余って、ヒザを地面についた。おそらく、「高卒ルーキーにいいようにやられてたまるか!」と片岡も力が入っていたのだろう。

 そういえば片岡と言えば三塁コーチャーズボックスに立っている私は、守備中に、よく話しかけられた。片岡がよく口にしていたのは「なんで日本ハムは勝てないんですかね」ということだった。西武に軽くひねられていたことに悔しさを覚えていたのだと思う。私は「総合力の差だろう。例えば投手にしてもウチのほうが力のある選手が多い」などと答えていたが、チームを何とか強くしたいという思いがあふれていて、いたく感心した。そういえば松坂と初対決のあとにも「大輔はどうやった」と聞いたら、「速いですわ」と返してきた記憶がある。

 松坂が初登板で負けん気の強さを発揮していたことも覚えている。5回、インハイのボールに怒ったフランクリンがバットを振り上げてマウンドに向かってきたときのことだ。あわや乱闘の騒ぎで、フランクリンにとっては半ばブラフであっただろうが、並のルーキーならびびってしまうような場面に出くわしても松坂は動じない。試合後に「そういう作戦でくるのかと、ムッとしました」とコメントしていたが、強心臓は相当なものだった。5回までノーヒットノーラン。6回一死から小笠原に初安打を浴び、8回には同じく小笠原に2ランを浴びて完封も逃したが、8回2失点の堂々たるピッチングは見事だった。

 04年、日本ハムは東京ドームに別れを告げて札幌へ本拠地を移した。やはり、後楽園時代からだが、巨人も同じ球場を本拠地としており、日本ハムはどこか球場を“間借り”しているようなイメージだった。ヒルマン監督時代の06、07年には連覇を達成。日本ハムは完全に北海道に根付いた。

 来季からは夢のボールパーク「エスコンフィールド北海道」が開場し、新たな本拠地とする。東京ドーム時代の記憶は年々薄れていってしまうかもしれないが、これも日本ハムの歴史の一部であることは確かだ。輝かしい成績を残したわけではないが、球史に刻む名シーンがあり、個性的な選手が必死に戦っていたことだけは忘れてはいけない。

写真=BBM

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