4月終了時点で勝率.125だった79年の西武。所沢移転元年はどのようなシーズンだった?【プロ野球回顧録】

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2022.4.15(金) 10:59

球団初勝利は新人・松沼博



西武ライオンズ球場でのオープニングゲームでベンチ前に並んだナイン

 新生・西武ライオンズの船出。1979年2月9日、ナインはアメリカ・フロリダ州のブラデントンに出発。54日間にわたる海外キャンプを行った。メジャー6球団とオープン戦19試合(8勝10敗1分け)を行い帰国。4月7日、近鉄との開幕戦を迎えた。

 記念すべき球団初勝利までの道程は本当に長かった。開幕戦は鈴木啓示に完封負け。以後、2分けを挟んで開幕からまさかの12連敗を喫した。その14試合でチームは合計25失策と守備が足を引っ張った形だ。4月14日、西武ライオンズ球場のオープニングゲームでは福田赳夫前首相が始球式を務め、3年目の立花義家が新球場の初ホームランを放ったが1対7で完敗。球団初勝利は4月24日の南海戦だった。この試合で新人の松沼博久が8回2失点でプロ初勝利。開幕15試合目で初めて白星を手にしたチームは、それでも波に乗れなかった。4月30日からは7連敗で勝率.125。この時点でもチームはわずかに3勝(21敗)と最下位を独走していた。

 5月は9日の南海戦で新人の森繁和がプロ初完投初勝利、18日の近鉄戦では五月女豊-永射保-森のリレーで球団初の完封勝利。27日の南海戦では大ベテラン・野村克也が史上2人目の通算650号の快挙を達成した。

 5月は結局6勝18敗2分けと大きく負け越したが、6月は9勝7敗3分けと持ち直した。すでに最下位は確定していたが、6月25日の前期最終戦となったロッテ戦で8回、代打の田淵幸一が逆転満塁本塁打。この勝利によって西武の前期勝率は.310。主砲の一発でチーム18勝目を挙げ、73年前期の近鉄が記録した勝率.297の2シーズン制の最低勝率更新は免れた。

観客動員は早くも100万人を突破


 後期も開幕から8月12日まで23試合で6勝16敗1分け。大きく負け越して最下位から抜け出せなかったが、2日後の14日から3連勝。これをきっかけにチーム状態は上向いてきた。松沼博が8月4勝1敗で月間MVPを受賞。打線は不振のミューサーを獲得し田淵、山崎裕之、土井正博のベテラン3人が復調。チーム打率も前期.246から後期.271と急上昇させた。8月5日には西武球場外野芝生席を初開放し、同26日には主催ゲームの観客動員が早くも100万人を突破した。

最下位脱出も見えた9月


 9月に入ると最下位脱出も見えてくる。1日から7日にかけて2分けを含む球団初の4連勝。2日の阪急戦第2試合では先発・山下律夫が初回一死も奪えずKOされたが、二番手の古沢憲司が9回無失点。打っては14試合ぶりに先発出場した田淵が2本塁打、5打点の大暴れを演じた。9月15日からはベテラン・永射の初完投勝利などで3連勝し、約2カ月ぶりに単独5位へ。8月中旬に東尾修が戦線離脱。9月21日の阪急戦で王貞治に次ぐ史上2人目の通算1500得点をマークしていた野村も翌日、右手骨折が判明。2人の長期リタイアはマイナスだったが、10月も投打がかみ合った。

 3日の南海戦では山崎がリーグ史上12人目のサヨナラ満塁アーチ。翌4日には松沼博が完投で14勝目を飾り、全球団から白星をマーク。前期との比較で、6球団の中で最も勝率を伸ばしたのが西武だった。

 後期は5位ながら3位のロッテにわずか3ゲーム差。前期は3位の日本ハムにも15ゲーム差をつけられ、優勝した近鉄には21ゲームの大差がついていた。だが、後期は首位の阪急にも9.5ゲーム差。シーズン成績は45勝73敗12分け、勝率.381で最下位だったが、翌年の躍進を期待させる戦いぶりを見せた。

写真=BBM

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